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福岡地方裁判所 昭和43年(行ウ)68号 判決 1981年4月22日

原告

佐伯正之

(ほか一〇名)

右原告ら一一名訴訟代理人弁護士

谷川宮太郎

(ほか一三名)

被告

北九州市長 谷伍平

右訴訟代理人弁護士

苑田美穀

(ほか二名)

右指定代理人

坂野博

(ほか二名)

右当事者間の懲戒処分取消請求事件につき、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告が原告らに対し昭和四三年五月二四日付でなした別紙(略)職種・組合役職・処分等目録処分欄記載の各懲戒処分をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨

第二当事者の主張(以下、事実略=編注)

理由

一  原告らが昭和四三年五月二四日当時北九州市に勤務していた職員であって同市職員で組織する市労に加入していたこと、同年二、三月当時の原告らの所属部課、職種及び組合役職が別紙職種・組合役職・処分等目録記載のとおりであること、被告が原告らに対し昭和四三年五月二四日付で同目録処分欄記載の各懲戒処分をなしたことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、被告の抗弁につき判断する。

1  原告らの属する市労が地公労法の適用を受ける労働組合として組織されて各区に支部を設置し、その組合員数が約七〇〇名で上部団体である自治労に加盟しており、同じく自治労に加盟している市職、病院労組、水道労組とともに連合体として市労連を組織していることは、当事者間に争いがない。

2  そこで、本件争議行為に至る経緯につき検討する。

(一)  病院、水道事業の財政再建計画の策定、成立に争いのない(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 北九州市は、昭和三八年二月一〇日、旧門司、小倉、若松、八幡、戸畑の五市が合併して発足したが(この点は当事者間に争いがない。)、折からの石炭産業及び鉄鋼産業の不況に伴う税収入の増勢の鈍化、生活扶助者及び失業者の多発による社会保障関係経費の増大、合併を可能にするためにとられた職員の給与の調整措置及び合併に際して増設された施設関係職員の増加等による人件費の急増、病院会計、国民健康保険会計等各種特別会計の収支の悪化に伴う繰出金の急増等が要因となって、財政事情の悪化が著しかった。なかでも、病院、水道事業の悪化が著しく、これを病院事業についてみると、昭和四一年度の医業費用二三億三〇八九万円に対し、医業収益は一六億八五五八万円にすぎず、同年度末における累積欠損金は一一億六四〇二万円となっていた。

(2) 昭和四二年三月谷新市長就任後、市では病院及び水道事業の再建を図るため、病院事業については従来の市衛生局病院課を改組して新たに病院局を設置して地公企法の全面適用を受けることとしたうえ(水道局は昭和三九年一月一日発足ずみ)、同法四九条一項所定の財政再建計画により右両事業の再建を図る方針を決め、昭和四二年九月二六日市議会に、右両事業につき自治大臣に対し地公企法四九条一項に基づく財政再建を申し出ることにつき議決を求める議案及び病院局の設置のための条例案等を提案し、一〇月一四日いずれも可決された。これに基づき一一月一日病院局が発足して地公企法の全面的適用を受けることとなり、同日柴田啓次が病院事業の管理者たる病院局長に任命された。

(3) 市当局は、病院及び水道事業に関する地公企法四九条二項、四三条一項、二項に基づく具体的財政再建計画案を作成したが、病院事業に関する再建計画案の中には支出の節減に関する事項として、次のような職員の労働条件に密接な関連を有すると思料されるものが含まれていた。すなわち、<1>給食業務、清掃業務、警備業務等を昭和四二年末までに民間業者に委託し、それにより職員二六六名を減員する、<2>高令職員に対しては退職勧奨等をする、<3>給料表を昭和四二年度中に国家公務員に準じたものに改める、<4>期末勤勉手当については国家公務員の支給率を上回らないものとする、<5>特殊勤務手当については現行二四種類のうち一五種類を廃止する、<6>勤務時間を現行拘束四三時間制を拘束四八時間制に改める、などにより人件費の節減を図ることとされていた。そして、市当局は、地公企法四九条二項、四四条一項に基づく、財政再建計画に関する議会の議決を得るため、昭和四二年一二月八日市議会に対し前記内容を含む病院及び水道事業についての財政再建計画案を提案し、同月一五日原案のとおり議決された。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)  勤務条件の改正

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 北九州市発足の際、旧五市の職員はそのまま新市の職員とされ、その勤務条件は統一されないまま旧五市で独自に定められていたものが新市における勤務条件として継承された。このような勤務条件の不統一は、職員に旧五市意識を温存させることになり、ひいては行政能率の向上や適切な人事配置を困難にさせていた。これを勤務時間、特殊勤務手当、給与についてみると、次のとおりであった。

(イ) 勤務時間

市の一般行政職員の勤務時間は、合併の際に条例により平日は午前九時から午後五時まで、土曜日は午前九時から正午までの実働週三八時間体制がとられていたが、国や他の地方公共団体、北九州市内の民間事業所の勤務時間に比して短いものであった。

一方、市の労務職員の勤務時間は、旧五市まちまちであったところ合併に際し統一の話し合いがつかずそれがそのまま温存され、旧五市まちまちのものが北九州市における勤務時間として継承された。そのため、労務職員の勤務時間は、職種によって実働週三八時間から五四時間にわたってばらついており、同一職種でも勤務する事務所の所在する区によって実働時間や始業時刻が異ったりしていた。また、他の地方公共団体の勤務時間と比較して短いものであった。これらを詳述すると、次のとおりである。

(A) 労務職員の約六六パーセントを占める清掃事務所に勤務する労務職員の勤務時間は、別表(一)のとおりで、実働時間三八時間があり、四二時間があり、更に四八時間があるという具合であった。

別表(一) 清掃事務所に勤務する清掃作業員及び自動車運転手の勤務時間

<省略>

別表(二) 失業対策事業に従事する失対副監督及び自動車運転手の勤務時間

<省略>

別表(三) 政令指定都市及び東京都における清掃作業員の一週間の勤務

<省略>

(B) 労務職員の一一パーセントを占める失業対策事業に従事する労務職員の勤務時間は、別表(二)のとおりで、全くまちまちであった。

別表(四) 政令指定都市及び北九州市の労務職員の平均給与月額等

<省略>

(C) 市の労務職員の勤務時間は、別表(三)のとおりの他の大都市におけるそれに比して短かった。

(ロ) 職員の特殊勤務手当

市職員の特殊勤務手当は、合併の際に統一できず旧五市の特殊勤務手当制度をほぼそのまま引き継いだ結果、合併当初の特殊勤務手当は二七〇種類から二八〇種類に及び、かつ、同一職務であるにもかかわらず勤務する区によって支給額や支給範囲が異ったり、支給しない区もあったりするなど不公平、不合理な状況にあった。そこで、被告の前任者であった吉田法晴市長は、昭和四一年一一月、従来からの特殊勤務手当の整理統合を図り、「北九州市職員の特殊勤務手当に関する条例」及び「単純な労務に雇用される北九州市職員の特殊勤務手当に関する規則」を制定したが、組合の強い反対で全市的に統一するまでに至らず、しかも組合と合意に達しないものについては、暫定的に条例、規則の各付則で「なお、当分の間は従前の手当を支給することができる。」と規定せざるを得なかった結果、特殊勤務手当の種類は依然として一五八種類の多くに及んでいた。しかも、右条例、規則の本文で同一区内ごとに統一された手当と暫定的に旧市時代の手当をそのまま存置されたものとが適用されたため、同一の職種、職務内容であっても区によって手当額及びその適用範囲が異るという変則的な状態が依然として続き、たとえば、戸畑区の清掃職員については、実働勤務時間が標準的勤務時間を超えていたにもかかわらず時間差手当ないし実質的にこれを調整する手当は定められていなかった。

(ハ) 職員の給与

市職員の給与水準は、合併時に労働組合の激しい要求もあっていきおい高いところに合せるなどの合併に伴う給与調整措置の結果、国、他の大都市に比較して高い水準にあり、特に労務職員の給与水準は別表(四)のとおり政令指定都市のなかで最も高かった。

そして、北九州市人事委員会が昭和四二年一〇月に北九州市議会と北九州市長に対し報告した「北九州市職員の給与に関する報告及び意見」によれば、市職員の平均給与月額は五万三三七四円で、これを市内民間事業所(企業規模一〇〇人以上でかつ事業所規模五〇人以上)の従業員の給与と職務の種類別に責任度合い、年齢等の条件が同等と認められるものについて比較しその較差を求めたところ、市職員の給与を一〇〇とした場合に民間従業員の給与は九七・八で、市職員の給与が民間の給与を上回っていた。

また、市職員の給与は、給料表の構造についても種々の問題点を有していた。昭和四〇年七月に地方自治法二四五条に基づく自治省の北九州市行財政調査が実施され、同年一〇月その勧告がなされたが、それによると、市の給料表は、給与月額、昇給間差額及び初任給が国のそれに比し高くなっていて国の制度に準じていない状態にあり、更に、労務職員の給料表が行政職給料表の適用範囲に含まれていることは地公法、地公企法に反することになるので、早急に企業職員同様に行政職給料表と分離し、法の精神に従ってその職務と責任に応じた給料表を定める必要がある旨を指摘されていた。

右自治省の勧告を受けて当時の吉田法晴市長は市の行財政の合理化に乗り出し、職員の勤務時間、諸手当の統一や給料表の一般行政職員と労務職員との分離等を図るべく市労や市職労等の労務職員の組合と話し合ったが、結論を得ないまま昭和四二年三月に被告市長谷伍平と交替した。

(2) 被告市長谷伍平は、昭和四二年秋ころから労務職員の勤務時間の統一を含む市の行財政の合理化を自治省の前記勧告にそって新たに推進することとし、同年一二月二六日、市労、市職及び市職労に対し、昭和四三年四月一日から勤務時間、給与制度等について改正を行う旨の事前通告を行うとともに、労働組合法一五条三項に従って勤務条件に関する従来の確認書を同年三月三一日限りで破棄する旨の通知をした(この点は当事者間に争いがない。)。そして、被告は、昭和四三年一月二三日、前記三組合に対し、勤務時間の是正統一案、特殊勤務手当の整理統合案及び旅費改正案について内示し、原告らの属する市労と同年一月三〇日、二月六日、同月一三日、同月一九日に団体交渉をもったが、その間の同年一月三〇日に給料表改正案を、次いで同年二月五日に初任給基準改正案、昇任基準改正案を、更に同月一二日に昇給延伸復元基準改正案をそれぞれ前記三組合に対し提示した(以上のうち、勤務時間の是正統一案等三案が内示された日が同年一月二三日であること、同年二月一二日に昇給延伸復元基準案が提示されたことを除くその余の点は当事者間に争いがない。)。

被告が提示した勤務時間の是正統一案、特殊勤務手当の整理統合案、旅費改正案、給料表改正案の各内容は、次のようなものであった。

(イ) 勤務時間の是正統一案

職員の標準的勤務時間を月曜から金曜は午前九時から午後五時三〇分まで、土曜は午前九時から午後零時三〇分まで、休憩時間は正午から午後一時までの一時間とする拘束週四六時間、実働週四一時間に改め、標準的勤務時間により難い業務に従事する職員の勤務時間を実働週四一時間制のものと実働四八時間制のものとの二つに整理統一し、実働週四八時間と定められて標準的勤務時間実働週四一時間を超える者については給料月額及びこれに対する調整手当の月額の合計額に一〇〇分の一七を乗じて得た額の時間差手当を支給することにした。

右改正勤務時間は、それぞれ職種ごとにみても、なお他の政令指定都市や市内民間企業のそれに比して短いものであった。

(ロ) 特殊勤務手当の整理統合案

特殊勤務手当は、「特殊な勤務に従事し、その勤務に対する給与について特別の考慮を必要とし、かつ、その特殊性を給料で考慮することが適当でないと認められるものに従事する職員には、その勤務の特殊性に応じて支給する。」(北九州市職員の給与に関する条例一六条一項)との制度本来の趣旨により、著しく危険、不快、不健康又は困難な勤務その他著しく特殊な勤務で、給与上において特別の考慮を必要とし、しかもその特殊性を給料で考慮することが適当でないと認められる職務に従事する職員に対し、その勤務の特殊性及び従事した回数又は日数に応じて支給するとの考えに立ち、従来の特殊勤務手当を労務職、行政職あわせて五二種類の手当に整理統合した。そして、従来は月額となっていたのを日額とし、その職務に応じ不快、困難度の高いものは増額し、逆に低いものは減額することにより適正化を図ろうとした。

(ハ) 旅費改正案

旧五市合併の経緯もあって、従来は市内でも区外に出張する際に一〇〇円の日当を支給していたが、これを市内出張に改めて日当一〇〇円の支給を廃止し継続四時間以上にわたる場合にのみ日当二〇円を支給することにした。

(ニ) 給料表改正案

現行法制上、法体系の異なる労務職員の給料表を行政職給料表の適用範囲に含めておくことに問題があったので、市の労務職員の給料表を国の行政職給料表(二)に準じて改定し、その職務に応じて等級を分類して四等級制とし、一般行政職員の給料表についても手直しをした。そして、右改定にあたって国家公務員の給与額の一〇パーセント増額の措置がとられていた。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(三)  勤務条件の改正に対する市労等の対応

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 原告らの属する市労、市職、市職労は、市から昭和四二年一二月二六日に前記(二)(2)のとおり勤務時間、給与制度等について改正を行う旨の事前通告と勤務条件に関する従来の確認書の破棄通知を受けたので、これを病院、水道事業の再建計画に続く市当局の労働者及び労働組合に対する新たな挑戦と受けとめて闘争態勢を強化し、市労は、昭和四三年一月六日、本部闘争委員会を開催し、今後の闘争方針として、三月の決戦にそなえ、一月準備段階、二月は全員行動に主体を置き、三月はストライキも辞さないが、そのために多種多様の戦術配置を行い、意志の結集をはかるべく、一月二三日の臨時大会までに職場点検・体制を整える旨を決定した。

市当局は、同年一月二三日、前記三組合に対し、勤務時間の是正統一案、特殊勤務手当の整理統合案、旅費改正案を団体交渉に先立って事前に提案したところ、市労は、翌二四日、第三回臨時大会を開催し、誠実な団体交渉によらない一切の労働条件の変更・差別及び業務の民間委託に対して、自治労の方針と指導のもとに組織の全力を挙げて、勤務時間内外の集会と行動、座り込み又はハンスト、休暇戦術(半休から一〇割休まで)、順法闘争、全面ストライキなどを含むあらゆる可能な戦術を行使し徹底的に闘う旨を決め、また、本部執行委員会と各支部長で常任闘争委員会を構成し、これにより本部と支部が一体となって市労全体の闘争指導を行うことや各支部ごとに闘争体制を確立して闘うことなどを決め、自治労の指導のもとに組織の全力をあげて勤務条件の改正等に反対して闘うこととし、闘争の指令権を自治労本部に移譲することを決定した。

自治労本部は、既に昭和四二年一一月二一日北九州市の病院事業、水道事業合理化計画に対する反対闘争を指導するため臨時に同本部書記長安養寺俊親を長とする現地闘争本部を設置し、市労、市職をはじめ市労連傘下の各組合がその指揮下に入っていた。現地闘争本部は、昭和四二年一二月の市議会で病院事業・水道事業合理化計画案が可決された後も存置されていたが、昭和四三年一月下旬ころ市労の第三回臨時大会と前後して再開され、市の勤務条件改正措置に適切かつ有効に対応するためその指導を強化することとし、自治労本部安養寺書記長が本部長に、自治労福岡県本部書記長樋口隆夫が事務局長に、市労、市職はじめ市労連傘下の各組合の組合長が闘争委員にそれぞれ就任した。

(2) 市当局は、昭和四三年一月三〇日、給料表の改正案を市労、市職、市職労の三組合に提示し、先に提案していた勤務条件に関する三改正案について第一回目の団体交渉を行ったが、その交渉時間は各組合につき各約二時間であった(以上の事実は当事者間に争いがない。)。組合側は、右団体交渉の席上、先ず既に要求していた昭和四二年度のベースアップ問題についての市当局の回答を求めたが、市当局から右ベースアップの実施について回答できる時期ではないと答弁がなされ、その後は市当局が右各改正案の趣旨を説明し、組合側がその疑問点につき質問するだけで、具体的な内容について協議するに至らなかった。組合側が右各改正案に全面的に反対である旨の意向を表明したので、市当局は、小委員会を設置して話し合いたいと提案したが、市労は、これに応じなかった。

市労は、第一回目の団体交渉終了後、全面ストライキを敢行してでも合理化に反対して断固闘う旨の教宣を組合ニュース等を通じて所属組合員に行い、市当局との対決を鮮明にしていった。

(3) 市当局は、昭和四三年二月五日、前記三組合に対し初任給基準改正案、昇任基準改正案を事前に提示し、翌六日、同改正案及び既に提示してあった勤務条件に関する改正案について第二回目の団体交渉をしたが、これも市当局が新たに提示した右改正案の趣旨を説明し、組合側がその疑問点につき質問したうえ各改正案には全面的に反対である旨を表明しただけで、具体的な内容にまで協議するに至らずに交渉時間の各二時間が経過した。

市労は、第二回目の団体交渉終了後、組合ニュースで「谷、松浦をやっつけるためには労働者の武器であるストライキを使う以外にない。断固ストライキを敢行してでも撤回を迫る。」と、勤務条件の改正に対してストライキで対決する旨を所属組合員らに教宣していた。

市労連は、同年二月一一日ころ、自治労現地闘争本部と合理化反対闘争に関する当面の闘争戦術について協議した結果、闘争のヤマを二月末から始まる定例市議会におき、三月下旬にかけて再び病院ストをするほか、清掃現業を中心に無期限ストなどを波状的に行うという方向で一致したので、執行委員会を開いて次のような具体的な戦術を決め、市労連大会でその闘争戦術を大会決議として確認し、各々の加盟単組の闘争委員会において確認することとした。

<1> 第一波として、定例市議会が開会される前後に、全職場で早朝三〇分の職場集会、清掃事業部門を中心に現業部門で二四時間ストを行うほか、市立病院の入院患者の給食を一日ストップさせる。

<2> 第二波として、市議会がヤマを迎える三月上旬ころ、現業部門の二四時間スト、全職場で早朝一時間の職場集会を行い、市立病院で職員の五割ストを二日間続ける。

<3> 第三波として、三月下旬ころ、現業部門で無期限ストを行うほか、全職場で半日スト、市立病院で二四時間ストをする。

<4> 三月末で解雇が発令される病院職員は解雇に応ぜず、四月一日実力で就労し職場を占拠する。

一方、市職労も同年二月一〇日、一一日の両日開催された第二一回定期大会で合理化に反対して同月中旬に集中的な実力行使を行い強力な闘争を組むことを決定した。

(4) 市当局は、同年二月一二日、組合側に対し昇給延伸復元基準改正案を提示し、翌一三日に従来提示してきた案件全部について第三回目の団体交渉を行い、その席上、提案にかかる給料表の切替えに伴い三・五パーセントのベースアップを行う旨の譲歩案を示したが、組合側は、これを受け入れず、勤務条件に関する各改正案の全面的撤回を要求した。これに対し市当局が右改正案を基本的に変更する意向のないことを表明したので、団体交渉は交渉時間二時間の経過とともに物別れに終った。

市労連、市職労及び自治労福岡県本部は、同月一三日、三者間に共闘会議を設置し、当面の闘争行動として、二月一六日の決起集会、同月二九日の市議会開会日の統一集会、三月二一日以降の市議会に対する請願行動などにできるだけ共闘して統一行動をとることを確認し、その後も三月六日の北九州市合理化粉砕支援共闘会議結成総会を成功させるために市労連と市職労が共闘して市内の各労働組合に支援を訴えて回るなどの行動をした。

市労連は、同年二月一三日から市役所本庁舎正面玄関前敷地に許可を得ないでテントを設営し、その周辺にプラカードや赤旗を並べ立て、組合員らを動員して座り込み行動を始めた。同月一六日、現地闘争本部が主催する不当処分粉砕決起集会が市役所本庁舎前で開かれたが、その際、市労本部執行委員長であった原告佐伯は、集まった組合員らの前で、市当局の合理化攻撃を粉砕するため二四時間の実力行使を行う旨の決意表明をして参加者の志気を鼓舞した。また、同原告は、翌一七日、市内の主要単産を回って市の合理化反対行動についての支援要請を行った。

(5) 市当局は、同年二月一九日、組合側と勤務条件改正について第四回目の団体交渉を行い、その席上、清掃事業関係部門を主にした特殊勤務手当の一部手直しと昇給基準の一部手直しを含む譲歩案を示したが、組合側は、全面的に反対した。特に、市労は、市当局に対し組合との合意なしに勤務条件の改正を強行しないとの約束をしてもらいたいと申し入れたが、市当局から組合側の合意が得られなければ右改正案のまま市議会に上程せざるを得ないと同申入れを拒否されたため、団体交渉を続けることができないとして席を立ち交渉を決裂させた。

市労連は、同日午後、拡大闘争委員会を開催し(この点は当事者間に争いがない。)、次のような闘争方針を決定した。

<1> 第一波として、二月二二日から二七日までの間に清掃、失対、学校給食各部門及び学校用務員の一日ストを行う。

<2> 第二波として、三月上旬に病院関係も含め一日ないし三日間のストを行う。

<3> 第三波として、三月中旬以降に市議会の議決日程に合せて無期限のストを行う。

また、原告佐伯は、市労本部委員長として新聞記者に対し、勤務条件の改正に反対してストライキを行う旨を表明し、新聞紙上にその旨の記事が掲載された。

(6) 市当局は、第四回目の団体交渉が不調に終ったので、同年二月二〇日、更に交渉を続けるべく予備交渉をもったが、市労が当局案に全面的に反対であるとして団体交渉に応ずる姿勢を示さなかったため、市労と団体交渉に入ることができず、同月二二日に市職労とだけ第五回目の団体交渉を行ったが、これも決裂した。

そこで、同年二月二二日、市当局は、翌二三日にストライキを行うと表明していた市労連に対し、最悪の事態を回避するために市長と原告佐伯(市労本部執行委員長)らとの会見を行いたい旨申し入れた結果、同日午後、被告市長谷伍平と原告佐伯、同下原(市労本部書記長)、市職委員長平田長雄及び自治労本部役員ら組合側幹部との会談が行われた(この点は当事者間に争いがない。)。その席上、被告市長は、二三日に市労連の予定しているストライキを中止してもらいたい旨説得するとともに、病院事業の財政再建計画が既に市議会で承認されているのでこの問題と切り離して勤務条件の政正案につき更に具体的に話し合いたい旨表明したが、組合側は、病院事業の合理化問題と切り離して勤務条件の改正案について話し合うことはできないし、一般行政職員と労務職員との給料表の分離にも絶対に反対であるとの態度を示したため、両者間に基本的な対立を残したまま右会談は物別れに終った。

市当局は、同月二二日、市労委員長の原告佐伯、市職執行委員長平田長雄、市職労執行委員長片岸真三郎に対し、市長名義の文書により、同月二三日に予定されている一斉職務放棄は違法な争議行為であるから行わないよう、もし行われた場合には厳正な措置をとる旨の警告をするとともに、全職員に対し、職務命令書を交付して右二三日は勤務時刻に出勤し職務に従事するよう命令した。これに対し、市労及び市職は、右警告を無視して現地闘争本部の決定どおり同月二三日に第一波のストライキを行うこととし、同月二二日午後七時三〇分ころ、自治労中央闘争委員長栗山益夫名義で、「北九市職は、二三日早朝三〇分以内、同市労は、休暇による一日の生活防衛集会参加の指令をしたので、通告する。」と電報により当局に対しストライキの通告をし、同月二三日、予定どおりストライキを実施した。

(7) 自治労福岡県本部中央委員会は、昭和四三年二月二八日、市労連の闘争を全面的に支援するとともに、北九州市闘争支援カンパを決定した。

市労連及び市職労は、同年三月五日、自治労福岡県本部を交えて会議を行い、三者間の具体的闘争戦術を調整し、第二波実力行使として市労連、市職労が共闘のうえ全職場で一斉にストライキをすることを確認した。翌六日、市労連、市職労の支援要請を受けて自治労、総評が呼びかけ、県評が中心となって、「北九州市合理化粉砕支援共闘会議」結成大会が戸畑文化ホールで開催され、総評加盟の各単産が支援共闘し市民への宣伝活動を行うことなどを決定した。

そこで、北九州市助役松浦功は、同年三月一三日、原告佐伯(市労本部執行委員長)、同石井(同副執行委員長)、同下原(同書記長)ら市労三役と会談し(この点は当事者間に争いがない。)、同月一五日に予定されているストライキを中止するよう説得するとともに、今後も話し合いを続けていきたいと要請したが、組合側の容れるところとならず、物別れに終った。被告市長は、翌一四日、組合側からの申入れを受けて、自治労本部副執行委員長野田哲、同書記長安養寺俊親、原告佐伯、市職執行委員長平田長雄らと会談し(この点は当事者間に争いがない。)、同月一五日のストライキを中止するよう説得し、組合側の要望を聞いたが、組合側は、病院局勤務労務職員の分限免職を撤回してもらいたい、労務職員の給料表の分離には応じられないと回答したため、右会談は不調となった。市当局は、右会談終了後、市職執行委員長平田長雄を通じて組合側に対し、同月一五日のストライキが中止されることを条件に現業職員の給料表に関し昇格運用の方法等について具体的に話し合いたい旨を申し入れたが、組合側から何らの返答もなかった。

組合側は、右市長との会談に先立ち同月一四日午前一一時ころから現地闘争本部拡大闘争委員会を開き、<1>翌一五日には、一般職員の勤務時間に一時間くいこむストライキと、清掃・学校給食部門の一日ストライキを行う、<2>同月一六日には、八幡、門司、若松の三市立病院で一日ストライキを実施する、という闘争戦術を確認した。

右のような状況であったため、市当局は、同月一四日午後、市労本部執行委員長の原告佐伯、市職執行委員長平田長雄、市職労執行委員長片岸真三郎に対し、市長名義による文書により、同月一五、一六日に予定されている一斉職務放棄は違法な争議行為であるから行わないよう、もし行われた場合には厳正な措置をとる旨の警告をするとともに、全職員に対し、職務命令書を交付して右一五、一六日は勤務時刻に出勤し職務に従事するよう命令した。これに対し、市労及び市職は、右警告を無視して、同月一五日午前零時過ぎ、自治労中央執行委員長栗山益夫名で「貴職の合理化強要に抗議し、撤回を求めるため、関係各単組に対し第二波実力行使を指令したので、通告する。」と電報により市当局に対しストライキの通告をし、同日及び翌一六日の両日、予定どおりストライキを実施した。

(8) 市労連は、同年三月一八日、市労、市職などの加盟各組合の代表者会議を開き(この点は当事者間に争いがない。)、市議会本会議の合理化案件に関する議決を阻止するため、同月二一日に第三波実力行使として五割休暇をとり、市議会に対して大量動員によるいわゆる請願行動を行い、集団的職場放棄を行うことを決定した。

市職労は、既に三月中旬から組合員の動員による市議会への請願行動を連日実施していたが、市労連と同様に同月二一日に市議会本会議の議決阻止のため大量の組合員等を動員して請願行動を行うこととした。

そこで、市当局は、同月一九日、市労執行委員長の原告佐伯、市職執行委員長平田長雄、市職労執行委員長片岸真三郎に対し、市長名義による文書により、同月二一日に予定されている一斉職務放棄は違法な争議行為であるから行わないよう、もし行われた場合には厳正な措置をとる旨の警告を発するとともに、全職員に対し、同月二一ないし二三日、二五、二六日は勤務時刻に出勤し職務に従事するよう、各々その前日又は前々日に職務命令書を交付して命令した。これに対し、市労及び市職は、同月二一日早朝、自治労中央執行委員長栗山益夫名で、「自治労市労連に対し、二一日市議会請願を中心に、生活防衛行動を行うよう指令したことを通告する。」と電報により市当局に対しスト通告を行い、同日から同月二五日まで市職労とともに勤務条件改正に関する市議会の議決を阻止するため多数の組合員を市議会への請願行動に参加させ、大規模な集団的職場放棄を実施した。

以上の事実を認めることができ、原告佐伯正之本人尋問の結果(第一、二回)のうち右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

3  本件争議行為等の状況につき判断する。

(一)  昭和四三年二月二三日の争議行為の状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

原告らの所属する市労は、昭和四三年二月二三日、清掃事務所及び学校給食部門で一日のストライキを行い、また、市職は、同日、市役所本庁舎及び各区役所で勤務時間にくいこむ職場集会等を行った。市職労も右市労、市職に同調して各区役所で勤務時間にくいこむ職場集会を行い、現業部門では組合員らが就労しなかったりした。

その結果、市長事務部局及び教育委員会の職員約一一〇〇人が職場を離脱し、市の業務の正常な運営が阻害された。特に、市労の一日ストにより、清掃部門では、平常稼働するごみ収集車一三〇台のうち四割強の五六台、し尿収集車一三七台のうち四割強の五二台が各々終日にわたり稼働できなかった。そこで、清掃事業局は、民間の清掃車を借り上げて投入し、また、超過勤務の清掃作業を行って、極力滞貨処理にあたったが及ばず、滞貨処理は翌日以降に持ちこされた。学校給食部門でも市労に属する調理員が一日ストを行ったため、給食を実施している市内の小学校一一九校のうち、門司区では二一校のうち一三校、戸畑区では一〇校のうち九校、八幡区では三七校のうち三校、合計二五校において所定の完全給食を実施することができず、冷たいパンやチーズなどの簡易給食に切り替えざるを得なかった。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

なお、各事業所等における争議行為の状況は、次のとおりであった。

(1) 門司清掃事務所の状況

(人証略)によると、次の事実が認められ、他に同認定を覆すに足る証拠はない。

(イ) 原告下原(市労本部書記長)は、同月二二日午後零時ころ、門司清掃事務所大里作業所職員詰所において、同所職員約六〇名に対し、約一五分間にわたり、勤務条件の改正に反対して翌二三日のストに全員参加するよう呼びかけ、更に、三月により強力なストを打つので是非参加するよう呼びかけた。

(ロ) 同月二三日、右作業所において、支援団体員らが午前七時三〇分ころから同所出入口にピケを張って就労を阻止する一方、同作業所の市労所属職員らは、職務を放棄して門司労働会館に集まり、勤務時間にくいこむ集会を行った。

(2) 門司労働会館の状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 原告中野(市労門司支部副支部長)は、同月二二日午後五時過ぎころ、門司区役所管財課車庫に同課車輛・整備の両係に所属する市労組合員らを集め、翌二三日は一斉に職務を放棄して午前七時に門司労働会館に集合するよう呼びかけ、また、二二日夜、門司健保会館に市労に属する学校給食調理員を集め、右同様の呼びかけをした。

(ロ) 門司清掃事務所大里作業所職員や学校給食調理員など市労門司支部の組合員ら約一六〇名は、同月二三日、原告中野らの呼びかけに応じて門司区内の門司労働会館に集まり、午前八時一〇分ころから勤務時間にくいこむ集会を行ったが、右勤務時間内集会は、市労門司支部の主催にかかるもので、原告矢狭(市労本部執行委員)、同飯干(同)、島内一雄(市労門司支部長)、原告中野(同支部副支部長)らが企画し、かつ指導して行われた(但し、島内一雄は、姉の急病のため同日の集会に参加しなかった。)。そして、右集会において、原告中野は、同日の集会の意義と合理化反対の今後の闘争方針について演説し、原告矢狭は、市労本部執行委員として挨拶したり他の組合員らに指示を行ったりし、原告飯干は、同会館入口で支援労組員らとともにピケを張るなどした。

門司清掃事務所長村上武俊及び同事務所業務第一係長長岡正幸は、同日午前八時二五分ころ、右集会に参加している職員らに対し、集会を中止して就労するよう命令するため同会館に入館しようとしたが、同館入口ピケ要員約二〇名によって入館を阻止されたため、右村上所長は、マイクで就労するよう数回にわたって命令したけれども、同集会が続けられた。また、門司区役所第一区次長林志郎及び同区役所総務課主査森崎禎治は、同日午前一〇時二〇分ころ、市労本部書記長山中照雄に会って集会の中止を要請するため入館しようとしたところ、同館入口で原告飯干ら市労組合員及び支援団体員らのピケ要員により入館を阻止された。

右集会は、同日午前一一時過ぎまで続けられ、門司清掃事務所大里作業所所属の市労組合員七六名が終日清掃作業を放棄したため、同日右作業所の清掃車は一台も稼働できなかった。

以上の事実を認めることができ、原告中野公雄本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(3) 小倉東清掃事務所及び小倉西清掃事務所の状況

(証拠略)によれば、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(イ) 原告牧野(市労小倉支部副支部長)は、同年二月二二日午後三時四〇分ころ、小倉西清掃事務所において、同事務所業務第一係長松井三郎及び同第二係長下原万亀雄に対し、「次長がおらんが、二係長がおるので渡しておく。」といって、同事務所作業員らの休暇届を一括持参して松井係長の机上に置き(この点は当事者間に争いがない。)、両係長から持ち帰るようにいわれたにもかかわらず、「私どもには休暇を出す権利がある。」といって、右休暇届をそのまま置き去りにして帰った。そして、同日午後四時五分ころ、再び同事務所に赴いた際、松井係長から同休暇届を持ち帰るよう指示されるや、同原告は、右係長に対し、「休暇を取る権利がある。みんなが持って行ってくれというので持って来た。それならあんた達が一人一人にあたったらどうか。ここで処理してくれ。」といって、同係長の指示に従わず、右一括休暇届を置き去りにした。

(ロ) 全電通、全逓等市労の支援団体の組合員ら約二、三〇名は、同月二三日、小倉東清掃事務所及び小倉西清掃事務所の車庫がある小倉区湯川の湯川車庫正門にピケを張って清掃車の出庫を阻止したため、右両清掃事務所の清掃車のうち小倉東清掃事務所の清掃車一台が稼働しただけでその余の清掃車は稼働できなかった。また、右両清掃事務所の市労組合員が小倉区内の労働会館に集まって勤務時間にくいこむ集会を開き、終日その職務を放棄したため、小倉区内の清掃作業は完全にストップした。

(4) 八幡東清掃事務所及び八幡西清掃事務所の状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(イ) 原告堀川(市労執行委員)は、同月二二日午後二時五〇分ころ、八幡区松尾町の八幡東清掃事務所業務第一係詰所二階において、同事務所の市労組合員五名に対し、「翌二三日は八幡区春の町の八幡清掃事務所玄関にピケを張って清掃車を一台も出さん。したがって、明日は作業は止めだ。ピケは外部の者が張るので、おまえたちは明日ここに来て指示があるまで待機せよ。明日はビラ配りをやってもらうか、張紙を張ってもらうかのどちらかだが、今晩戦術会議があるので、その決定をまって指示する。」などと、約三〇分間にわたり翌二三日の争議行為に職務を放棄して参加するよう呼びかけた。

(ロ) 市労の支援団体員らは、同月二三日、八幡東清掃事務所及び八幡西清掃事務所の各々の出入口にピケを張って清掃車の出庫を阻止したため、両清掃事務所合せて一〇〇台の清掃車のうち二六台が稼働できず、また、両清掃事務所の市労組合員は、同日、八幡区内の寺院で集会を開き、終日その職務を放棄したので、同日の清掃作業は相当停滞した。

(5) 若松清掃事務所及び戸畑清掃事務所の状況、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

同月二三日、若松清掃事務所では、市職労に属する組合員が勤務時間にくいこむ集会を行い、戸畑清掃事務所では、市労に属する職員二八名が終日職務を放棄した。このため、若松清掃事務所では二台、戸畑清掃事務所では三台の各し尿収集車が終日にわたり稼働できなかった。

(6) 市役所本庁舎における状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

市職に属する職員とその支援団体員ら約六〇名は、同月二三日午前六時ころから本庁舎各出入口にピケを張って職員の入庁を阻止し、当局から再三にわたる退去要請及び退去命令を受けたにもかかわらず退去せず、始業時刻の午前九時を過ぎてもピケを続行した。そこで、当局は、午前九時過ぎころ、ピケ隊に阻止されて入庁できず降りしきる雪の中で庁舎周辺に立ちつくしていた職員を入庁させるため、管理職員により本庁舎民生局横出入口前のピケ隊を排除して、庁舎周囲に集まっていた多数の職員を入庁させた。

(7) 各区役所の状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

門司区役所では、同月二三日午前七時三〇分ころから市職の支援団体員ら約一〇名が庁舎出入口にピケを張って職員の入庁を阻止し、午前八時四五分ころから同九時三分ころまで同区役所一階玄関ホールにおいて市職に属する職員ら約一二〇名が市職副執行委員長山中正人の指導のもとに勤務時間にくいこむ職場集会を行い、また、市職労に属する職員も同日同区役所組合書記局付近で勤務時間にくいこむ職場集会を実施した。

同日、八幡区役所では、市労連と市職労が共闘して同区役所中庭で、戸畑区役所では、市職労が同区役所裏庭で、それぞれ勤務時間にくいこむ職場集会を行った。

(二)  昭和四三年三月一五日及び同月一六日の争議行為の状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

第二波実力行使の第一日目である昭和四三年三月一五日、市労は、清掃、学校給食部門で終日ストライキを実施し、市職は、本庁、各区役所で一時間の勤務時間にくいこむ集会を行い、また、市職労は、一般行政職員を中心に本庁、各区役所で右市職の勤務時間内集会を共闘して行ったため市長事務部局及び教育委員会の職員約二四〇〇名が職務を放棄した。

特に、清掃部門では、同日、平常稼働するごみ収集車一三一台のうち七割余にあたる九三台が、し尿収集車一三九台のうち八割余にあたる一一三台がそれぞれ終日稼働できず、清掃事業の大部分が停滞した。そこで、清掃事業局は、民間車を借り上げる一方、超過勤務をするなどして滞貨処理にあたったが、滞貨が多すぎたため、同日以降もその滞貨処理に追われた。

また、市労に属する学校給食調理員も終日職務を放棄したため、同日の給食は小学校六年生にとって最後の「お別れ給食」として期待されていたものであったけれども、市内一一九校の小学校のうち約半数の五五校でパンとソーセージの冷たい簡易給食に切り替えられた。

以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

そして、前示二2(三)(7)のとおり、市労連は、第二波実力行使の第二日目である同月一六日、門司、若松、八幡の三市立病院でストライキを行った。

なお、各事業所等における争議行為の状況は、次のとおりであった。

(1) 各清掃事務所の状況

(イ) (証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

小倉西清掃事務所では同月一四日午後一時ころ各職員に翌一五日勤務の職務命令書を交付したが、原告牧野は、一四日午後三時三〇分ころ、同事務所職員約八〇名分の休暇届を一括して持参し所長の机の上に置いた。そこで、同事務所長大津正が「一括して休暇をとると作業が麻痺するので、認めるわけにはいかない。」といって右休暇届を戻したところ、同原告は、右所長に対し「何をいうか。われわれには休暇をとる権利があるんだ。」といって、再び同休暇届を所長の机上に置いたまま事務所を出ていった。その後しばらくして同原告が事務所に入ってきたので、同事務所次長中畑敬雄は、同原告に対し「八〇人もの休暇を認めると作業が麻痺する。この休暇を認めるわけにはいかないので、持ち帰ってくれ。」といって、先に置いていった休暇届を持ち帰るよう命じたところ、同原告は、「休暇をとる権利がわれわれにはあるんだ。おまえは何をいうか。そうまでいうなら、おまえが一人一人に当って確かめたらいいじゃないか。」と激しく同次長にくってかかり、休暇届を所長の机上に置いたまま事務所を出ていった。

(ロ) (証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

小倉東、小倉西、若松、八幡東、八幡西及び戸畑の各清掃事務所では、同月一五日、市労に属する組合員が終日職務を放棄し、市職労に属する組合員も請願行動として市議会へ押しかけるなどし、右六事務所合計一二五三名中約五四パーセントの六七九名が終日職場を離脱した。このため、小倉西、戸畑の両清掃事務所では、一台の清掃車も稼働せず清掃作業が完全にストップした。また、市労の支援団体員らが門司、西港、若松、八幡の各清掃工場及び小倉区の豊岡ごみ埋立地の入口にピケを張って市の清掃車のみならず民間の委託収集車によるごみの搬入までも阻止したため、若松清掃工場では、業者とピケ隊のにらみ合いとなり、業者がごみをピケ隊の前におろして一時は騒然となるなど、同日の終末処理が混乱した。

(2) 市役所本庁舎、各区役所における争議行為の状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(イ) 市職、市職労及びその支援団体員ら約三〇〇名は、同月一五日午前五時ころから同一〇時ころまで、本庁舎出入口にピケを張り、職員のみならず一部市民の入庁をも阻止し、また、午前九時ころから同一〇時ころまで、本庁舎近くの戸畑文化ホールで、本庁及び戸畑区役所勤務の職員らを集めて市労連、市職労共闘による「生活防衛決起大会」と称する勤務時間内集会が開催された。

(ロ) 門司区役所では、同日、支援団体員らが庁舎各出入口にピケを張り、市職門司支部は、同区役所近くの清滝公園において、組合員を集めて午前九時五五分ころまで勤務時間にくいこむ集会を行った。

小倉区役所では、同日、市職労の組合員らが庁舎各出入口にピケを張り、同区役所近くの小倉市民会館で午前一〇時ころまで勤務時間にくいこむ集会を行った。

若松区役所では、同日、市職労の組合員らが庁舎各出入口にピケを張り、午前九時三〇分ころまで勤務時間にくいこむ職場集会をした。

八幡区役所では、同日、組合員らが庁舎各出入口にピケを張り、午前九時一五分ころまで、同区役所中庭で、市労連、市職労共闘による勤務時間内集会が行われた。

戸畑区役所では、同日、組合員らが庁舎各出入口にピケを張った。

(三)  昭和四三年三月二一日から同月二五日までの争議行為の状況

(1) 三月二一日までの市議会の状況等

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

昭和四三年二月二九日に招集された北九州市二月定例市議会は、同日から同年三月二六日までを会期とし、昭和四三年度予算案とその関係条例及び本件勤務条件改正案件等を審議するため、三つの特別委員会(第一ないし第三分科会)を設置して審議をすすめていた。この議会審議に対し、市職労は、三月一五日から支援団体員らを動員し、請願行動と称して連日市議会へ押しかけ、また、市労連も同月一八日から市職労に同調して組合員に休暇をとらせて市議会に押しかけていた。

このように市労連、市職労及びその支援団体が連日多数の組合員を動員し分科会に請願行動として押しかけたため、分科会の審議が妨げられ、また、市議会予算特別委員会第一分科会の最終日に予定されていた同月一九日午後九時五〇分ころ、勤務条件改正案審議中の右第一分科会に出席していた市長谷伍平が第二分科会に出席するため廊下に出た際、集結していた市職労青年部の組合員ら約一〇〇名に取り囲まれていわゆる洗たくデモで振り回されるなどの暴行により、全治一か月間の傷害を受ける事態も生じた。

分科会の審議は同月二〇日にほぼ終了し、同月二一日から本会議が開かれ、勤務条件改正議案等が議決されるみとおしとなっていた。

(2) 三月二一日から同月二五日までの争議行為の状況

市議会本会議において同月二一日勤務条件改正議案等が議決される予定であったこと、同月二一、二二、二三、二五日に市労や支援団体員らによる市議会への請願行動がなされたこと、市議会本会議が三度にわたり延期され、同月二五日に警察官の導入により市議会本会議が開催されたことは当事者間に争いがなく、右事実に(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

勤務条件改正議案等を審議する市議会本会議が三月二一日に開かれる予定になっていたため、市労連、市職労とも前日から多数の組合員を職場離脱させ、また、支援労組員も市民約四〇万名分の請願書を議会に提出するといって、それぞれ市議会に押しかけたので、市議会本会議は、三度にわたって延期され、同月二五日に警察官を導入してようやく開催された。

この間、連日にわたって市労などに所属する清掃事務所の現業職員を中心に市長事務部局、教育委員会の職員延べ約三八〇〇名が職場を離脱したため、大量のごみ、し尿の滞貨が生じ、また、学校給食も簡易給食に切り替えざるを得ない事態が生じるなど、市の業務の正常な運営が著しく阻害された。

清掃事業局は、この間、最大限の民間車の借上げや時間外作業によりごみ、し尿の滞貨を処理すべく努力をしたが、その滞貨処理に約二〇日間を要し、四月半ばころにようやく平常の作業状態に復した。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

なお、各日における争議行為ごとの具体的状況は、次のとおりであった。

(イ) 三月二一日の争議行為の状況

(a) (証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

小倉西清掃事務所業務第二係長下原万亀雄は、三月一九日午後二時ころ、同事務所作業員詰所二階において、市労連、市職労が争議行為を予定している明後日二一日分の職務命令書を各職員に交付していたところ、原告牧野は、同二階に上ってきて、その場にいた作業員約三〇名に向って大声で、「みんな聞いてくれ。二一日は小倉労働会館に行くようになっていたが、議会が延長される可能性もあるので、労働会館に行かずにここの詰所に全員来てくれ。ここに来たら全員印章を押さず、名札盤も扱うな。当局からいろいろな話があっても聞くな。組合から指示があるまで、全員待機してくれ。」といって、二一日に予定されている争議行為に組合の指示によって職務を放棄するよう呼びかけた。

(b) (証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

勤務条件改正案件等が三月二一日に市議会特別委員会の議決を経て市議会本会議で採決される予定であったが、市労連、市職労などの組合側は、右本会議の開会を実力で阻止するため、前夜から約二〇〇名の組合員らを議事堂廊下に蒲団や毛布を持ち込んで徹夜で座り込ませた。同日午前六時ころから組合員、支援団体員らが続々と議事堂周辺に集まり、午前八時ころには議事堂一、二階の廊下にぎっしりと座り込み、午前一〇時過ぎには職務を放棄した市労連、市職労の組合員を中心とした約八〇〇〇名の労組員らが議場の内外に押しかけ、議決を阻止する態勢をとった。その際、釘を打ちつけた板が議事堂のブロック塀の内側に沿って置かれるなどした。

市議会当局は、これらの労組員らに対し再三にわたり退去を要請したが、これに応じなかったので、同日の審議をすることができないと判断し、特別委員会及び本会議の開会を延期した。

市議会延期決定後の同日午後四時ころ、議事堂内外を埋めていた市労連、市職労の組合員や支援団体員らは、議事堂近くの戸畑文化ホール前広場に集まって団結集会を開いたが、その際、原告佐伯は、市労連副委員長として、集まった労組員らに対し闘争の決意表明や激励の挨拶をした。

このようにして、同日、市労、市職労に属する多数の職員が職務を放棄したため、清掃部門では、午後に清掃車が門司、戸畑区内で一台も稼働せず、小倉区内でも数台しか稼働せず、結局、午前中は二七〇台のうち約半数の一二六台、午後は八割近くの二〇八台が稼働しなかったばかりか、学校給食部門でも、一一九校の小学校のうち二三校において完全給食ができず簡易給食に切り替えざるを得なかった。

(ロ) 三月二二日の争議行為の状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

三月二二日も、前日と同様に前夜から約二〇〇名の組合員らが議事堂内に泊り込み、同日午前九時ころから職務を放棄した市労連、市職労の組合員を中心に約五〇〇〇名の労組員らが請願行動として議場の内外を埋めつくし議事堂を占拠したので、市議会当局は、再三退去命令を発したが、労組員らがこれに従わなかったため議会の開会を再度延期せざるを得なかった。

清掃部門では、同日も前日に続いて市労、市職労に属する組合員らが職務を放棄したため、清掃車が午前中は二七〇台のうち四分の一強の七〇台が稼働せず、午後は門司、戸畑の両清掃事務所で一台も稼働しなかったのを始め、小倉東、小倉西の両清掃事務所でもし尿収集車が数台稼働しただけで、全体で七割近くの一八七台が稼働せず、前日に続いて清掃作業は停滞した。特に、門司、戸畑両区内では二日間にわたり午後の収集作業ができなかったため、滞貨が著しく、市民からの各清掃事務所に対する苦情の電話が相次いだ。

また、学校給食部門でも、一一九校の小学校のうち七校で完全給食ができず簡易給食に切り替えられた。

(ハ) 三月二三日の争議行為の状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

三月二三日も、前夜から約一五〇名の組合員らが議事堂内に泊り込み、職務を放棄した市労連、市職労の組合員らを中心に約三〇〇〇名の労組員らが請願行動として議場周辺を埋め議事堂を占拠したため、市議会当局は、議会を開会することができず、延期せざるを得なかった。

同日は土曜日で清掃作業は門司、若松の両清掃事務所において午前中だけであったが、清掃車は午前中二六九台のうち一割近くの二四台が止まり、午後も清掃作業を行う清掃事務所のうち、戸畑清掃事務所において一台も稼働せず、他の小倉東、小倉西、八幡東、八幡西の各清掃事務所においても大半が動かず、同日午後は一九三台のうち六割の一一六台が稼働しなかった。

このように、二一、二二日と二日間続いた清掃部門のストライキにより生じたごみやし尿の滞貨を処理し切れないまま、二三日も清掃車の大半が稼働できなかったため、市民から各清掃事務所への苦情が殺到した。

(ニ) 三月二五日の争議行為の状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

三月二五日、職務を放棄した市労連、市職労の組合員を中心に約五〇〇〇名の労組員らは、議場内外を埋めつくして議事堂を占拠し、「首切反対」などと書いたビラを首にぶらさげた多数のを議場内に放すなどした。

市議会当局は、再三退去命令を発したが、労組員らがこれに応じなかったので、会期の関係でこれ以上市議会を延期することができないと判断し、警察官の出動を要請して労組員らを排除したうえ、市議会を開いた。

同日、市議会開会を予想して市労、市職労所属の組合員が最大限に動員されたため、清掃部門では、清掃車が午前中は二七〇台のうち七割近くの一八七台が、午後は八割を超える二二五台がそれぞれ稼働せず、特に門司清掃事務所大里作業所及び戸畑清掃事務所では一台も稼働しなかったため、同日の清掃作業は麻痺状態となった。

(四)  昭和四三年二月一九日から同年三月一四日までの小倉西清掃事務所における原告らの行為の状況

(1) 昭和四三年二月一九日及び同月二〇日の状況

(人証略)を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 小倉西清掃事務所次長中畑敬雄(以下「中畑次長」という。)は、同年二月一九日、ごみ収集作業終了後に未だ日明地区など数か所に取り残されたごみがあったので、これを時間外作業で処理するため、同事務所作業員らに協力を求めたところ、原告牧野が同事務所に来て中畑次長に対し「超勤には応じられん。」と拒否した。そこで、中畑次長は、係長、指導員、事務職員に加勢を申し入れて来た同事務所作業員安田政太郎(当時非組合員で、作業員らの入浴用の風呂沸しを担当していた。)をも加えて、処理班を編成した。

ところが、同事務所作業員の三村清正は、これをみて、入浴中の職員らの制止も聞かずにいきなり風呂に大量の水を入れてぬるくし、同日午後三時五〇分ころ、原告牧野、同今浪ほか約三〇名の同事務所作業員らとともに事務所へやって来て、同事務所業務第一係長松井三郎(以下「松井係長」という。)に対し「風呂沸しにつけている者をどうして作業につけるのか。風呂がぬるくなって、作業員が風邪をひいて死んでしまったらどうするか。」などと難くせをつけて激しく抗議し、時間外作業の出発を遅らせた。このため、松井係長は、同事務所業務第二係長下原万亀雄(以下「下原係長」という。)とともに風呂の湯加減を確認し(既に入浴中の者により湯が加えられて湯温が元に戻っていた。)、三村清正に対し「風呂は立派に沸いている、入りたかったら、入れ。」といって、同人の抗議によって出発が遅れていた時間外作業に出かけた。

(ロ) 同月二〇日午前八時(始業時刻)ころ、市労本部執行委員の早川進が松井係長及び下原係長に対し「厚生会の報告をするので、一五分だけ時間をくれ。」と申し入れた。中畑次長は、右両係長から話を聞き、従前から勤務時間内でも福利厚生に関することでの報告集会などを許可していたため、早川に対しても一五分間を厳守するよう注意して許可を与えた。午前八時ころから同事務所詰所内で開かれた職場集会は、許可された一五分間をすぎても終らず、更に許可を受けることなく午前八時四〇分ころまで続けられた。

右集会終了後、原告石井(市労本部副執行委員長)、同貞金(市労小倉支部支部長)、同牧野(同副支部長)、同今浪らは、約五〇名の同事務所作業員らとともに同事務所に押しかけ、「昨日のことで話しに来た。」といって所長大津正及び中畑次長の周囲を取り囲んだ。そして、作業員らの罵声が飛び交う喧噪な雰囲気の中で、原告石井は、先ず中畑次長に対し「次長、おまえは作業員を犬、猫のようにこき使っているが、その訳を聞かせてくれ。」といったので、中畑次長が「言い分がわからんが、説明してくれ。」と尋ねたところ、原告今浪は、「安田政太郎の問題と松井係長の暴言だ。」と答えた。中畑次長は、既に始業時刻も過ぎているし右原告らの言い分が因縁をつけるにすぎないものと判断したため、同原告らに対し「松井係長にも事情を聞いた後で、話し合おう。」と述べた。そうしているうちに午前九時近くになり、既に湯川車庫から清掃車も同事務所に到着し作業員が乗車すれば出発できる状態であったため、中畑次長は、抗議に押しかけて来ていた右原告らに対し就労を命じた。

中畑次長の右就労命令に対し、原告石井は、「次長、今から清掃事業局へ行って、局と事務所と組合の三者でこの問題について話し合いをしよう。」と中畑次長に要求し、また、原告貞金は、「局へ行ってこの問題をはっきりしよう。あんたにいくら言ってもわからない。いつでもあんたが問題を大きくするじゃないか。」と中畑次長に激しく迫った。

中畑次長が右原告らの要求を拒否したところ、原告石井は、午前九時二〇分ころ、折りたたみ椅子を持って来させてその上に立ち、大声で「みんな今聞いたところだと、この事務所と話してもつまらん。それだから、みんな昼までで仕事を切り上げてここに帰って来い。そして昼から全員休暇をとって局に抗議に押しかける。本庁にはほかのほうで動員した者もおるので、その者たちと一緒になって局と話し合いをする。だから昼までで仕事をやめて帰って来い。」と午後からは職務を放棄して抗議行動に参加するよう呼びかけた。

このような状態であったため、当日の清掃作業は午前九時二五分ころまでできなかった。

以上の事実を認めることができ、原告石井常夫、牧野茂夫各本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(2) 同年三月二日の状況

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 中畑次長は、かねてから小倉西清掃事務所における職員の服務規律の遵守について厳格な態度をとっていたので、人情味に欠けるとして職員から反感を抱かれていた。そして、同年三月当時、同清掃事務所においては、作業員詰所と車庫とが別々の場所にあった関係上、作業員が清掃車の到着をまって現実に作業に出かけるのは出勤時間後一五分位経過した午前八時一五分ころで、その間の一五分位はいわゆる手待時間と呼ばれ、種々の報告や組合の集会等に利用されることもあった。

原告牧野、同今浪、早川進、三村清正らは、同月二日午前八時一〇分ころ、同清掃事務所玄関前広場において、作業員ら約六〇名を先導して自治労の旗を振りながら、「中畑追い出せ、中畑出て行け。」などとシュプレヒコールをしながらジグザグデモを行った。

このデモをみた中畑次長が係長に命じて就労を指示させたところ、右原告らは、事務所に入って来て、中畑次長に対し「おまえは三月一日に話し合いをするから待っとけという約束をわれわれにしておりながら、昨日はここに帰って来なかったじゃないか。」と激しく抗議し、また、三村清正は、すさまじい剣幕で「おまえは逃げたんだろう。」と大声でいいながら中畑次長の机を叩いて難詰した。

(ロ) 原告貞金、同牧野、三村清正は、同日午後二時一五分ころ、同清掃事務所入口付近の壁や扉などに、中畑次長を誹謗するビラ(「<な>むあみだぶつと<か>ん桶背負い<は>てないあの世へ<た>びに立つ」「<な>いてわびても<か>ばっちゃおれぬ<は>だかであの世に<た>びに立つ」などと○印を連ねると「なかはた」となり同人を誹謗するもの、墓を書いて同人を誹謗するものなど)約二〇枚を糊で貼りつけた。これを目撃した中畑次長が右ビラの撤去を命じたところ、同原告らは、自分たちは知らないといって、右命令を無視して撤去しなかった。

右内容と同様のビラが同日朝から事務所だけでなく詰所や風呂場にも貼られていて、その数は二〇〇枚位あった。また、同事務所付近には、長さ約一・八メートルの「中畑の墓」と書かれたベニヤ板が置かれていて、その前には供え物としてごみが置かれ、この中畑次長を誹謗する墓に対し、三村清正は、「みんな、お参りせんか。小便でもばりかけい。」といって自ら小便をかけるなどして、中畑次長を誹謗中傷する行為をした。

その後、同清掃事務所は、業者に依頼して右ビラを撤去し、また、右墓については焼却処理した。

以上の事実を認めることができ、原告牧野茂夫本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(3) 同年三月四日の状況

(人証略)を総合すると、次の事実が認められる。

原告今浪、早川進、三村清正は、同年三月四日午前八時五分ころから、小倉西清掃事務所玄関前広場において、作業員ら約五〇名を先導して約一〇分間位デモ行進をしていたが、その途中、原告今浪は、早川進、三村清正らとともに事務所へ入り、同原告らは、中畑次長に対し「話し合いをいつするか。まだ要求事項がなんぼでもある。それやから話し合いをするか、どうか、回答をせい。」と要求した。これに対し、中畑次長は、「要求事項があれば、文書にして提出してくれ、交渉事項であれば、正しいルールに従って話し合いをしよう。」と答えたところ、右原告らは、退室した。

以上の事実を認めることができ、原告今浪光雄本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(4) 同年三月一一日の状況

同年三月一一日午前八時一五分ころ小倉西清掃事務所作業員詰所において職場集会が開かれたことは当事者間に争いがなく、右事実に(人証略)を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

原告今浪が同月一一日午前七時五〇分ころ同清掃事務所に入って来て、都市清掃大会の報告をしたいので一五分間ほど時間をほしい、と松井、下原両係長に申し入れたが、両係長は、同原告らがいつも時間を厳守しなかったので、一旦は右申入れを拒否したものの、右原告が必ず一五分で終ると約束し、かつ執ように申し入れたため、時間を厳守するよう注意して一五分を限度に集会を許可した。

右許可した午前八時一五分となったので、下原係長が指導員らを作業配置のため詰所に行かせたところ、集会が続けられていて指導員らは詰所に入ることができなかった。そこで、松井、下原両係長と指導員らがともに詰所へ赴き入室しようとしたところ、三村清正は、その入口に立って下原係長に対し、「今、話をしよるから入らんでくれ。」と大声でいい、同係長に詰め寄って入室を阻止した。同係長が同原告に対し集会の中止と就労を命じたが、右三村は、「とにかく話を聞いてもらったら困るから、出てくれ。」と同係長に再び大声でいいながら詰め寄って入室を阻止した。その際、原告今浪は、詰所内で作業員ら約九〇名を集めて演説をしていた。その後も集会が続けられたので、右両係長が午前八時三〇分ころ集会の中止を命ずるため詰所に行ったが、ドアを開けることができなかった。午前八時五〇分ころ、中畑次長、松井、下原両係長、指導員らが三たび集会の中止と就労を命ずるため詰所に赴き、中畑次長が入室して演説中の原告今浪に対して集会を中止し就労するよう命令したところ、同原告は、「もうすぐ終るから。」といって聞き入れず、また、右三村も「おまえら出て行け、もうすぐ終る。やかましい。」といって応じなかった。紛争を避けて中畑次長らが退室した後の午前八時五五分ころ、原告今浪は、音頭をとって、「合理化反対、谷ごんべい(谷伍平を指す。)を倒すまで団結頑張ろう。」と作業員らに三唱させて、集会が終った。

このため、同清掃事務所における同日の作業は、午前八時五五分ごろまで始められなかった。

(5) 同年三月一三日の状況

(人証略)によると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

松井、下原両係長は、同年三月一三日午前七時五五分ころ、指導員から作業員らが小倉西清掃事務所作業員詰所で集会を開いているとの報告を受けたので、午前八時に作業配置を行うため指導員らとともに右詰所へ赴いたところ、同詰所では無許可で作業員ら約九〇名を集めて職場集会が開かれていた。下原係長が同詰所内に入りかけたところ、早川進は、入口で同係長に対し「今話し合いをしているので、入らんでくれ。」といって入室を阻止した。下原係長は、始業時刻となっているので作業配置をする旨いったところ、再び右早川から入室を阻止されたため、無許可の職場集会を中止するよう申し入れたが、これに対し、右早川の傍にいた原告今浪は、「何をしようと勝手じゃないか。」と激しく同係長にくってかかった。こうしたやりとりを作業員らがみていて詰所内の雰囲気がかなり騒然となってきたため、同係長らは、一旦詰所を退室した。午前八時二五分になっても右詰所内の集会が終らないので、中畑次長、松井、下原両係長、指導員らが集会を中止させて作業配置を行うため詰所に行き、中畑次長が入室して集会の中止と就労を命じたところ、原告今浪は、「わかっちょる、わかっちょる。もうすぐやめる。わかっちょるけん、あんたたちは外に出ちょきなさい。」と大声で命令を拒否し、午前八時三〇分ころまで職場集会を続けた。

(6) 同年三月一四日の状況

(人証略)によると、次の事実が認められ他に右認定を覆すに足る証拠はない。

松井、下原両係長及び指導員らは、同年三月一四日午前八時ころ、始業時刻となったので作業配置を行うために小倉西清掃事務所作業員詰所に行ったところ、同詰所内では作業員らを集めて無許可で職場集会が開かれていた。下原係長らが同詰所内に入りかけると、原告今浪、三村清正は、入口にいて、「おまえたち入らんでくれ。特に非組合員は入るな。手割をしてもらわんでもいい。」とか、「どうせ賃金カットをするやろうが、外に出てくれ。入らんでくれ。」などと、大声でくってかかり、入口の扉を閉めて同係長らの入室を阻止し、午前八時一五分まで右集会を続けた。

4  原告らの行為とその評価

(一)  原告佐伯正之について

原告佐伯は、戸畑区失業対策課監督員であったが、組合業務に専従し、昭和四三年一月から同年三月当時、市労の本部執行委員長で、市労連の副委員長に就任し、北九州市行財政の合理化施策に対する反対闘争を強力に推進するため自治労本部により北九州市に現地闘争本部が設置されるやその闘争委員として参画していたことは当事者間に争いがないところ、右の組合役職にあって、本件争議行為に関し、次のような違法行為をした。

(1) 現地闘争本部闘争委員及び市労連副委員長として、次のような行為をした。

(イ) 前記2(三)(3)で判示したとおり、市労連は、昭和四三年二月一一日ころ、現地闘争本部と同年二、三月における合理化反対の闘争方針を協議したうえ、執行委員会を開催し、<1>第一波として、市議会開会前後に、全職場で早朝三〇分の職場集会、現業部門で二四時間ストなどを行う、<2>第二波として、三月上旬に現業部門で二四時間スト、全職場で早朝一時間の職場集会、市立病院で五割ストを二日間行う、<3>第三波として、三月下旬に現業部門で無期限スト、全職場で半日スト、市立病院で二四時間ストを行う、<4>三月末で解雇される病院職員を四月一日に実力で就労させる旨の具体的方針を決定し、市労連大会で右の闘争方針を大会決議として確認したが、特段の反証のない本件においては、現地闘争本部闘争委員及び市労連副委員長として右協議に加わり、右執行委員会、大会を開催して、具体的闘争方針を決定するなど、本件各争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(ロ) 前記2(三)(5)で判示したとおり、市労連は、同年二月一九日午後に拡大闘争委員会を開催し、<1>第一波として、二月二二日から二七日までの間に清掃、失対、学校給食各部門及び学校用務員の一日ストを行う、<2>第二波として、三月上旬に病院関係も含め一日ないし三日間のストを行う、<3>第三波として、三月中旬以降に市議会の議決日程に合せて無期限のストを行う旨の闘争方針を決定したが、特段の反証のない本件においては、市労連副委員長として右拡大闘争委員会に関与し、具体的闘争方針を決定するなど、本件各争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(ハ) 前記2(三)(7)で判示したとおり、市労連及び市職労は、同年三月五日に自治労福岡県本部を交えて会議を行い三者間の具体的闘争戦術を調整し、第二波実力行使として市労連、市職労が共闘したうえ全職場で一斉にストライキをすることを確認したが、特段の反証のない本件においては、市労連副委員長として右会議に加わり、同月一五日の争議行為(第二波実力行使)を企て、共謀したものと推認される。

(ニ) 前記2(三)(7)で判示したとおり、同年三月一四日午前一一時ころから現地闘争本部拡大闘争委員会が開催され、<1>翌一五日には、一般職員の勤務時間に一時間くいこむストライキと、清掃・学校給食部門の一日ストライキを行う、<2>同月一六日には、八幡、門司、若松の三市立病院で一日ストライキを実施するという闘争戦術を確認したが、特段の反証のない本件においては、現地闘争本部闘争委員として右拡大闘争委員会に加わり、具体的闘争方針を決定するなど、同月一五日、一六日の争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(ホ) 前記2(三)(8)で判示したとおり、市労連は、同年三月一八日に市労、市職などの加盟各組合の代表者会議を開き、市議会本会議の合理化案件に関する議決を阻止するため、同月二一日に第三波実力行使として五割休暇をとり、市議会に対して大量動員によるいわゆる請願行動を行い、集団的職場放棄を行うことを決定したが、特段の反証のない本件においては、市労連副委員長として右会議に加わり、具体的闘争方針を決定するなど、同月二一日から同月二五日までの争議行為(第三波実力行使)を企て、共謀したものと推認される。

(2) 市労本部執行委員長として、次のような行為をした。

(イ) 前記2(三)(1)で判示したとおり、市労は、同年一月六日、勤務条件の改正に関し市当局とは何ら具体的事項について団体交渉も行っていない段階で市労本部闘争委員会を開催し、「三月はストライキも辞せず決戦にそなえる。そのため、二三日の臨時大会までに職場の闘争体制を整える。」など決定したが、特段の反証のない本件においては、市労本部執行委員長として右闘争委員会を招集開催し、右決定をさせて、本件各争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(ロ) 前記2(三)(1)で判示したとおり、市労は、同年一月二四日、前同様の状況下で、市労の第三回臨時大会を開催し、同月二三日に市当局から提示された勤務条件改正案に対し「全面ストライキを含むあらゆる可能な戦術を行使して徹底的に闘う。」旨の決定をしたが、特段の反証のない本件においては、市労本部執行委員長として右大会を招集・開催し、右決定をさせて、本件各争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(ハ) 前記2(三)(2)で判示したとおり、市労は、同月三〇日の第一回団体交渉終了後、全面的ストライキを敢行してでも合理化に反対して断固闘う旨の教宣を組合ニュースを通じて所属組合員に行い、次いで、前記2(三)(3)で判示したとおり、市労は、同年二月五日の第二回団体交渉終了後、組合ニュースで「断固ストライキを敢行してでも撤回を迫る。」と、勤務条件の改正に対してストライキで対決する旨を所属組合員らに教宣したが、特段の反証のない本件においては、市労本部執行委員長として右各組合ニュースの発行に関与するなど、本件各争議行為をあおり、そそのかしたものと推認される。

(3) 昭和四三年二月二三日の第一波実力行使に際し、次のような違法行為をした。

(イ) 前記2(三)(4)で判示したとおり、同年二月一六日、北九州市役所本庁舎前で開催された不当処分粉砕決起集会に市労本部執行委員長として参加し、集会に参加した市労などの組合員らに対し、「当局の合理化攻撃を粉砕するため、二四時間の実力行使を行う。」旨決意表明を行って、同月二三日の争議行為をあおり、そそのかした。

(ロ) 前記2(三)(6)で判示したとおり、同年二月二二日、原告下原(市労本部書記長)、市職労執行委員長平田長雄及び自治労本部役員らとともに市長谷伍平と会談した際、市長から市労連が予定している翌二三日のストライキを中止して更に話し合いを行いたいとの説得を受けたにもかかわらず、既に市議会で承認済の病院事業の再建計画に反対して譲らず、市長の右説得を無視して翌二三日の争議行為を中止せず、また、二二日に市長から違法争議行為を行わないよう文書による警告をうけたにもかかわらず、これに従わず、特段の反証のない本件においては、市労本部執行委員長として翌二三日の争議行為の遂行を指導したものと推認される。

(4) 同年三月一五日、一六日の第二波実力行使に関し、次のような行為をした。

前記2(三)(7)で判示したとおり、同年三月一三日、原告石井(市労本部副執行委員長)、同下原(同書記長)とともに市助役松浦功と会談し、同助役から同月一五日のストライキの中止と今後の話し合いの説得をうけたにもかかわらず、これに応ぜず、同月一四日、市職執行委員長平田長雄及び自治労本部役員らとともに市長谷伍平と会談し、市長から翌一五日のストライキを中止するよう説得されたにもかかわらず、これを無視して応ぜず、また、同月一四日、市長から違法争議行為を行わないよう文書による警告を受けたにもかかわらず、これに従わず、特段の反証のない本件においては、市労本部執行委員長として同月一五日及び同月一六日の争議行為の遂行を指導したものと推認される。

(5) 同年三月二一日から同月二五日までの第三波実力行使に関し、次のような行為をした。

(イ) 前記2(三)(8)で判示したとおり、同年三月一九日、市長谷伍平から違法争議行為を行わないよう文書による警告を受けたにもかかわらず、これに従わず、特段の反証のない本件においては、市労本部執行委員長として同月二一日から同月二五日までの争議行為の遂行を指導したものと推認される。

(ロ) 前記3(三)(イ)(b)で判示したとおり、同月二一日、市議会本会議の延期が決定されるや、引き続き戸畑文化ホール前広場に組合員ら多数を集めて団結集会を開催し、市労連副委員長として、集まった組合員らに対し闘争の決意表明や激励の挨拶を行って、同月二一日から同月二五日までの争議行為をあおり、そそのかした。

原告佐伯の以上の行為は、地公法三三条、地公労法一一条一項に違反し、地公法二九条一項一号の懲戒事由に該当する。

(二)  原告石井常夫について

原告石井は、昭和四三年一月から同年三月当時、八幡東清掃事務所自動車運転手であるとともに市労本部副執行委員長をしていたことは当事者間に争いがないところ、右組合役職にあって、次のような違法行為をした。

(1) 前記2(三)(1)で判示したとおり、市労は、同年一月六日、勤務条件の改正に関し市当局とは何ら具体的事項について団体交渉も行っていない段階で市労本部闘争委員会を開催し「三月はストライキも辞せず決戦にそなえる。そのため、二三日の臨時大会までに職場の闘争体制を整える。」など決定したが、特段の反証のない本件においては、市労本部副執行委員長として右闘争委員会を開催し、右決定をさせて、本件各争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(2) 前記2(三)(1)で判示したとおり、市労は、同年一月二四日、前同様の状況下で、市労の第三回臨時大会を開催し、同月二三日に市当局から提示された勤務条件改正案に対し「全面ストライキを含むあらゆる可能な戦術を行使して徹底的に闘う。」旨の決定をしたが、特段の反証のない本件においては、市労本部副執行委員長として右大会を開催し、右決定をさせて、本件各争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(3) 前記2(三)(2)で判示したとおり、市労は、同月三〇日の第一回団体交渉終了後、全面的ストライキを敢行してでも合理化に反対して断固闘う旨の教宣を組合ニュースを通じて所属組合員に行い、次いで、前記2(三)(3)で判示したとおり、市労は、同年二月五日の第二回団体交渉終了後、組合ニュースで「断固ストライキを敢行してでも撤回を迫る。」と、勤務条件の改正に対してストライキで対決する旨を所属組合員らに教宣したが、特段の反証のない本件においては、市労本部副委員長として右各組合ニュースの発行に関与するなど、本件各争議行為をあおり、そそのかしたものと推認される。

(4) 前記2(三)(7)で判示したとおり、同年三月一三日、原告佐伯(市労本部執行委員長)、同下原(同書記長)とともに市助役松浦功と会談し、同助役から同月一五日のストライキの中止と今後の話し合いの説得をうけたにもかかわらず、これに応ぜず、特段の反証のない本件においては、市労本部副執行委員長として同月一五日の争議行為の遂行を指導したものと推認される。

(5) 弁論の全趣旨により真正に成立したと認める(証拠略)によると、同年二月二三日、三月一五日、同月二一日、同月二二日、同月二三日及び同月二五日は、職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、終日自己の職務を放棄したことが認められる。

(6) 前記3(四)(1)(ロ)で判示したとおり、同年二月二〇日午前八時四〇分ころ、原告貞金、同牧野、同今浪及び三村清正らとともに同事務所作業員ら約五〇名の先頭に立って、執務中の同事務所次長中畑敬雄のもとに押しかけ、同次長に対し暴言を吐いて難くせをつけ、吊し上げるなどして同事務所業務の正常な運営を阻害した。

原告石井の右(1)ないし(4)の各行為は、地公法三三条、地公労法一一条一項に違反して地公法二九条一項一号の懲戒事由に該当し、右(5)、(6)の各行為は、同法三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反して地公法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当する。

(三)  原告下原広志について

原告下原は、昭和四三年一月から同年三月当時、衛生局防疫所二種業務員で組合業務に専従し、市労本部書記長及び市労連書記長をしていたことは当事者間に争いがないところ、右の組合役職にあって、本件各争議行為に関し、次のような違法行為をした。

(1) 市労連書記長として、次のような行為をした。

(イ) 前記2(三)(3)で判示したとおり、市労連は、昭和四三年二月一一日ころ、現地闘争本部と同年二、三月における合理化反対の闘争方針を協議したうえ、執行委員会を開催し、<1>第一波として、市議会前後に、全職場で早朝三〇分の職場集会、現業部門で二四時間ストなどを行う、<2>第二波として、三月上旬に現業部門で二四時間スト、全職場で早朝一時間の職場集会、市立病院で五割ストを二日間行う、<3>第三波として、三月下旬に現業部門で無期限スト、全職場で半日スト、市立病院で二四時間ストを行う、<4>三月末で解雇される病院職員を四月一日に実力で就労させる旨の具体的方針を決定し、市労連大会で右の闘争方針を大会決議として確認したが、特段の反証のない本件においては、市労連書記長として右執行委員会、大会を開催して、具体的闘争方針を決定するなど、本件各争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(ロ) 前記2(三)(5)で判示したとおり、市労連は、同年二月一九日午後に拡大闘争委員会を開催し、<1>第一波として、二月二二日から二七日までの間に清掃、失対、学校給食各部門及び学校用務員の一日ストを行う、<2>第二波として、三月上旬に病院関係も含め一日ないし三日間のストを行う、<3>第三波として、三月中旬以降に市議会の議決日程に合せて無期限のストを行う、旨の闘争方針を決定したが、特段の反証のない本件においては、市労連書記長として右拡大闘争委員会に関与し、具体的闘争方針を決定するなど、本件各争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(ハ) 前記2(三)(8)で判示したとおり、市労連は、同年三月一八日に市労、市職などの加盟各組合の代表者会議を開き、市議会本会議の合理化案件に関する議決を阻止するため、同月二一日に第三波実力行使として五割休暇をとり、市議会に対して大量動員によるいわゆる請願行動を行い、集団的職場放棄を行うことを決定したが、特段の反証のない本件においては、市労連書記長として右会議に加わり、具体的闘争方針を決定するなど、同月二一日から同月二五日までの争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(2) 市労本部書記長として、次のような行為をした。

(イ) 前記2(三)(1)で判示したとおり、市労は、同年一月六日、勤務条件の改正に関し市当局とは何ら具体的事項について団体交渉も行っていない段階で市労本部闘争委員会を開催し、「三月はストライキも辞せず決戦にそなえる。そのため、二三日の臨時大会までに職場の闘争体制を整える。」など決定したが、特段の反証のない本件においては、市労本部書記長として右闘争委員会を開催し、右決定をさせて、本件各争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(ロ) 前記2(三)(1)で判示したとおり、市労は、同年一月二四日、前同様の状況下で、市労の第三回臨時大会を開催し、同月二三日に市当局から提示された勤務条件改正案に対し「全面ストライキを含むあらゆる可能な戦術を行使して徹底的に闘う。」旨の決定をしたが、特段の反証のない本件においては、市労本部書記長として右大会に関与し、右決定をさせて、本件各争議行為を企て、共謀したものと推認される。

(ハ) 前記2(三)(2)で判示したとおり、市労は、同月三〇日の第一回団体交渉終了後、全面的ストライキを敢行してでも合理化に反対して断固闘う旨の教宣を組合ニュースを通じて所属組合員に行い、次いで、前記2(三)(3)で判示したとおり、市労は、同年二月五日の第二回団体交渉終了後、組合ニュースで「断固ストライキを敢行してでも撤回を迫る。」と、勤務条件の改正に対してストライキで対決する旨を所属組合員らに教宣したが、特段の反証のない本件においては、市労本部書記長として右各組合ニュースの発行に関与するなど、本件各争議行為をあおり、そそのかしたものと推認される。

(3) 昭和四三年二月二三日の第一波実力行使に際し、次のような行為をした。

(イ) 前記3(一)(1)(イ)で判示したとおり、同年二月二二日午後零時ころ、門司清掃事務所大里作業所職員詰所において、同所職員約六〇名に対し、約一五分間にわたり、市の勤務条件の改正に反対して翌二三日のストライキに全員参加するよう呼びかけて、翌二三日の争議行為をあおり、そそのかした。

(ロ) 前記2(三)(6)で判示したとおり、同年二月二二日、原告佐伯(市労本部執行委員長)、市職労執行委員長平田長雄及び自治労本部役員らとともに市長谷伍平と会談した際、市長から市労連が予定している翌二三日のストライキを中止して更に話し合いを行いたいとの説得を受けたにもかかわらず、既に市議会で承認済の病院事業の再建計画に反対して譲らず、市長の右説得を無視して翌二三日の争議行為を中止せず、特段の反証のない本件においては、市労本部書記長として翌二三日の争議行為の遂行を指導したものと推認される。

(4) 前記2(三)(7)で判示したとおり、同年三月一五日及び同月一六日の第二波実力行使に際し、同月一三日、原告佐伯(市労本部執行委員長)、同石井(同副執行委員長)とともに市助役松浦功と会談し、同助役から同月一五日のストライキの中止と今後の話し合いの説得をうけたにもかかわらず、これに応ぜず、特段の反証のない本件においては、市労本部書記長として同月一五日及び同月一六日の争議行為の遂行を指導したものと推認される。

原告下原の以上の行為は、地公法三三条、地公労法一一条一項に違反し、地公法二九条一項一号の懲戒事由に該当する。

(四)  原告牧野茂夫について

原告牧野は、昭和四三年二、三月当時、小倉西清掃事務所清掃作業員であるとともに市労小倉支部の副支部長をしていたことは当事者間に争いがないところ、次のような違法行為をした。

(1) 本件各争議行為に際し、次のような行為をした。

(イ) 前記3(一)(3)(イ)で判示したとおり、同年二月二二日午後三時四〇分ころ、小倉西清掃事務所において、同事務所作業員らの翌二三日の休暇届を一括して同事務所業務第一係松井係長の机上に置き、同係長らの制止にも従わず、そのまま置き去りにして、翌二三日の争議行為をあおり、そそのかした。

(ロ) 前記3(二)(1)(イ)で判示したとおり、同年三月一四日午後三時三〇分ころ、小倉西清掃事務所において、同事務所職員ら約八〇名の翌一五日の休暇届を一括して同事務所大津所長の机上に置き、同所長及び同事務所次長中畑敬雄の制止にも従わず、そのまま置き去りにして、同月一五日の争議行為をあおり、そそのかした。

(ハ) 前記3(三)(2)(イ)(a)で判示したとおり、同年三月一九日午後二時ころ、同事務所作業員詰所において、同事務所作業員約三〇名に対し、同月二一日は同事務所に集まって作業をせずに待機して組合の指示を待ち、職務を放棄するよう呼びかけて、同月二一日の争議行為をあおり、そそのかした。

(ニ) 前掲(証拠略)によると、同年二月二三日、同年三月一五日、同月二一日、同月二二日及び同月二五日は、職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、終日職場を離脱して自己の職務を放棄したことが認められる。

(2) 同年二、三月の小倉西清掃事務所における闘争において、次のような指導をした。

(イ) 前記3(四)(1)(ロ)で判示したとおり、同年二月二〇日午前八時四〇分ころ、原告石井、同貞金、同今浪及び三村清正らとともに同事務所作業員ら約五〇名の先頭に立って、執務中の同事務所次長中畑敬雄のもとに押しかけ、同次長を取り囲んで約四〇分間にわたって吊し上げるなどして、同事務所業務の正常な運営を阻害した。

(ロ) 前記3(四)(2)(イ)で判示したとおり、同年三月二日午前八時一〇分ころ、同事務所前広場において、勤務時間中であるにもかかわらず、原告今浪及び早川進、三村清正らとともに同事務所作業員ら約六〇名を先導して「中畑(同事務所次長)を追い出せ。」などと連呼しながらジグザグデモを行い、中畑次長の就労命令にも応ぜず、かえって同次長に対し激しく抗議し、同事務所業務の正常な運営を阻害した。

(ハ) 前記3(四)(2)(ロ)で判示したとおり、同年三月二日午後二時一五分ころ、同事務所入口付近の扉や壁などに、原告貞金、三村清正とともに中畑次長を誹謗する内容のビラ多数を糊で貼りつけて同次長を中傷した。

原告牧野の右(1)(イ)、(ロ)、(ハ)の各行為は、地公法三三条、地公労法一一条一項に違反して地公法二九条一項一号の懲戒事由に該当し、右(1)(ニ)、(2)(イ)、(ロ)の各行為は、地公法三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反して地公法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当し、右(2)(ハ)の行為は、地公法三三条に違反し同法二九条一項一号、三号の懲戒事由に該当する。

(五)  原告矢狭清光について

原告矢狭は、昭和四三年二、三月当時、門司清掃事務所の自動車運転手であるとともに市労の執行委員をしていたことは当事者間に争いがないところ、本件争議行為に際し、次のような違法行為をした。

(1) 前記3(一)(2)(ロ)で判示したとおり、原告飯干、同中野らとともに、同年二月二三日午前八時一〇分ころから門司労働会館に市労門司支部の組合員ら約一六〇名を集めて同日午前一一時過ぎまで勤務時間内の集会を開催し、同集会において市労本部執行委員として演説し、また、他の組合員に指示して回るなどして、同集会の運営を指導し、もって、門司清掃事務所等の業務の正常な運営を阻害した。

(2) 前掲(証拠略)によると、同年三月二一日、同月二二日及び同月二五日は、職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、終日無断で職場を離脱して自己の職務を放棄したことが認められる。

原告矢狭の以上の行為は、地公法三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反し、地公法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当する。

(六)  原告飯干義之について

原告飯干は、昭和四三年二、三月当時、門司清掃事務所清掃作業員であるとともに市労の執行委員をしていたことは当事者間に争いがないところ、本件争議行為に際し、次のような違法行為をした。

(1) 前記3(一)(2)(ロ)で判示したとおり、原告矢狭、同中野らとともに、同年二月二三日午前八時一〇分ころから門司労働会館に市労門司支部の組合員ら約一六〇名を集めて同日午前一一時過ぎまで勤務時間内の集会を開催し、市労本部執行委員として同集会の運営を指導し、更に、同日午前一〇時二〇分ころ、集会の中止を要請するため同会館に来た門司区役所第一区次長林志郎及び同区役所総務課主査森崎禎治に対し支援団体員らとともにピケを張って同人らの入館を阻止し、もって、門司清掃事務所等の業務の正常な運営を阻害した。

(2) 前掲(証拠略)によると、同年三月二一日、同月二二日及び同月二五日は、職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、終日無断で職場を離脱して自己の職務を放棄したことが認められる。

原告飯干の以上の行為は、地公法三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反し、地公法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当する。

(七)  原告堀川清について

原告堀川は、昭和四三年二、三月当時、八幡東清掃事務所の自動車運転手であるとともに市労の執行委員をしていたことは当事者間に争いがないところ、本件争議行為に際し、次のような違法行為をした。

(1) 前記3(一)(4)(イ)で判示したとおり、同年二月二二日午後二時五〇分ころから約三〇分間にわたり、八幡東清掃事務所業務第一係詰所において、同事務所作業員ら五名に対し、翌二三日は職務を放棄して争議行為に参加するよう呼びかけて、翌二三日の争議行為をあおり、そそのかした。

(2) (人証略)を総合すると、同年三月一九日午前七時五〇分ころから同八時三〇分ころまでにかけて、市庁舎正面玄関前敷地において、何ら許可を受けることなく、また、財政局管財課管財第一係長真木保則の再三にわたる制止をも無視して、争議行為を遂行するため多数の組合員を動員する拠点としてのテントを設置したことが認められる(右日時にテントを設置したことは当事者間に争いがない。)。

(3) (証拠略)によると、同年二月二三日、三月一五日、同月二一日、同月二二日、同月二三日及び同月二五日は、職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、終日無断で職場を離脱して自己の職務を放棄したことが認められる。

原告堀川の右(1)、(2)の各行為は、地公法三三条、地公労法一一条一項に違反して地公法二九条一項一号の懲戒事由に該当し、右(3)の行為は、同法三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反し地公法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当する。

(八)  原告中野公雄について

原告中野は、昭和四三年二、三月当時、門司区役所管財課の自動車運転手であるとともに市労門司支部の副支部長であったことは当事者間に争いがないところ、本件争議行為に際し、次のような違法行為をした。

(1) 前記3(一)(2)(イ)で判示したとおり、同年二月二二日午後五時過ぎころ、門司区役所管財課車庫において、同課車輌・整備両係職員らに対し、翌二三日は職務を放棄して午前七時に門司労働会館に集合するよう呼びかけ、更に、同月二二日夜、門司健保会館において、学校給食調理員らに対しても右同様の呼びかけをし、翌二三日の争議行為をあおり、そそのかした。

(2) 前記3(一)(2)(ロ)で判示したとおり、原告矢狭、同飯干らとともに、同年二月二三日午前八時一〇分ころから門司労働会館に市労門司支部の組合員ら約一六〇名を集めて同日午前一一時過ぎまで勤務時間内の集会を開催し、同集会において、同日の集会の意義と合理化反対の闘争方針等について演説するなどして同集会の運営を指導し、もって、門司清掃事務所等の業務の正常な運営を阻害した。

(3) (証拠略)によると、同年三月二一日及び同月二二日は終日、同月二五日は午前一〇時から二時間三〇分、無断で職場を離脱して自己の職務を放棄したことが認められる。

原告中野の右(1)の行為は、地公法三三条、地公労法一一条一項に違反して地公法二九条一項一号の懲戒事由に該当し、右(2)、(3)の各行為は、同法三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反し地公法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当する。

(九)  原告貞金秀男について

原告貞金は、昭和四三年一月から同年三月当時、小倉区役所総務課役務員であるとともに市労小倉支部の支部長をしていたことは当事者間に争いがないところ、次のような違法行為をした。

(1) 本件争議行為に際し、次のような行為をした。

(イ) 前記2(三)(1)で判示したとおり、市労は、同年一月二四日、第三回臨時大会を開催して北九州市の行財政合理化反対のための当面の闘争方針を決定し、そのなかで本部執行委員会と各支部長で常任闘争委員会を構成し、これにより本部と支部が一体となって市労全体の闘争指導を強力に推進し、各支部ごとに闘争体制を確立して闘うことを決めたが、特段の反証のない本件においては、右常任闘争委員会の構成メンバー及び市労小倉支部の支部長として、右の闘争方針に基づいて同支部の闘争体制を確立し、本件争議行為の企画、指導並びに情報の収集、報告、指令の伝達及び情宣活動の実施につき重要な役割を果したものと推認することができる。

(ロ) (証拠略)によると、職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、同年三月二一日、同月二二日及び同月二五日は終日、同年二月二三日、同年三月一五日及び同月二三日は午前九時から正午までの三時間、無断で職場を離脱して自己の職務を放棄したことが認められる。

(2) 同年二、三月の小倉西清掃事務所における闘争において、次のようにこれを指導した。

(イ) 前記3(四)(1)(ロ)で判示したとおり、同年二月二〇日午前八時四〇分ころ、原告石井、同牧野、同今浪及び三村清正らとともに同事務所作業員ら約五〇名の先頭に立って、執務中の同事務所次長中畑敬雄のもとに押しかけ、同次長を取り囲んで約四〇分間にわたって吊し上げるなどして、同事務所業務の正常な運営を阻害した。

(ロ) 前記3(四)(2)(ロ)で判示したとおり、同年三月二日午後二時一五分ころ、同事務所入口付近の扉や壁などに、原告牧野及び三村清正とともに中畑次長を誹謗する内容のビラ多数を糊で貼りつけて同次長を中傷した。

原告貞金の右(1)(イ)の行為は、地公法三三条、地公労法一一条一項に違反して地公法二九条一項一号の懲戒事由に該当し、右(1)(ロ)、(2)(イ)の各行為は、同法三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反して地公法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当し、右(2)(ロ)の行為は、同法三三条に違反し同法二九条一項一号、三号の懲戒事由に該当する。

(一〇)  原告山内一郎について

原告山内は、昭和四三年一月から同年三月当時、八幡東清掃事務所清掃作業員であるとともに市労八幡支部の支部長をしていたことは当事者間に争いがないところ、本件争議行為に際し、次のような違法行為をした。

(1) 前記2(三)(1)で判示したとおり、市労は、同年一月二四日、第三回臨時大会を開催して北九州市の行財政合理化反対のための当面の闘争方針を決定し、そのなかで本部執行委員会と各支部長で常任委員会を構成し、これにより本部と支部が一体となって市労全体の闘争指導を強力に推進し、各支部ごとに闘争体制を確立して闘うことを決めたが、特段の反証のない本件においては、右常任闘争委員会の構成メンバー及び市労八幡支部の支部長として、右の闘争方針に基づいて同支部の闘争体制を確立し、本件争議行為の企画・指導並びに情報の収集、報告、指令の伝達及び情宣活動の実施につき重要な役割を果たしたものと推認することができる。

(2) (証拠略)によると、同年三月一五日、同月一六日、同月二一日、同月二二日、同月二三日及び同月二五日は、職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、終日無断で職場を離脱して自己の職務を放棄した。

原告山内の右(1)の行為は、地公法三三条、地公労法一一条一項に違反して地公法二九条一項一号の懲戒事由に該当し、右(2)の行為は、同法三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反し地公法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当する。

(一一)  原告今浪光雄について

原告今浪は、昭和四三年二、三月当時、小倉西清掃事務所清掃作業員であったことは当事者間に争いがないところ、次のような違法行為をした。

(1) (証拠略)によると、本件争議行為に際し、同年二月二三日、同年三月一五日、同月二五日は、職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、終日無断で職場を離脱して自己の職務を放棄したことが認められる。

(2) 同年二、三月の小倉西清掃事務所における闘争において、次のように闘争を指導した。

(イ) 前記3(四)(1)(ロ)で判示したとおり、同年二月二〇日午前八時四〇分ころ、原告石井、同牧野、同貞金及び三村清正らとともに同事務所作業員ら約五〇名の先頭に立って、執務中の同事務所次長中畑敬雄のもとに押しかけ、同次長を取り囲んで約四〇分間にわたって吊し上げるなどして、同事務所業務の正常な運営を阻害した。

(ロ) 前記3(四)(2)(イ)で判示したとおり、同年三月二日午前八時一〇分ころ、同事務所前広場において、勤務時間中であるにもかかわらず、原告牧野及び早川進、三村清正らとともに同事務所作業員ら約六〇名を先導して、「中畑を追い出せ。」などと連呼しながらジグザグデモを行い、中畑次長の就労命令にも応ぜず、かえって同次長に対し激しく抗議し、同事務所業務の正常な運営を阻害した。

(ハ) 前記3(四)(3)で判示したとおり、同年三月四日午前八時五分ころ、同事務所玄関前広場において、勤務時間中であるにもかかわらず、早川進及び三村清正らとともに同事務所作業員ら約五〇名を先導してデモ行進を行い、その間、右早川らとともに同事務所において中畑次長に抗議し、同事務所業務の正常な運営を阻害した。

(ニ) 前記3(四)(4)で判示したとおり、同年三月一一日午前八時一五分までは許可されて同事務所作業員詰所において職場集会を開いたが、許可された時限である午前八時一五分を過ぎても右集会を中止せず、許可を受けずに勤務時間内集会を続けて同集会で演説し、更に、中畑次長の就労命令にも従わず、同八時五五分ころまで「団結頑張ろう。」の音頭をとるなどして同集会の運営を指導し、同事務所業務の正常な運営を阻害した。

(ホ) 前記3(四)(5)で判示したとおり、同年三月一三日午前八時ころから同事務所詰所において、勤務時間にくいこむ職場集会を開催し、下原係長が集会を中止するよう命令したところ、これに反抗して従わず、更に中畑次長が集会の中止と就労を命令してもこれに反抗して従わず、午前八時三〇分ころまで右集会を続け、同事務所業務の正常な運営を阻害した。

(ヘ) 前記3(四)(6)で判示したとおり、同年三月一四日午前八時ころから同事務所詰所において勤務時間にくいこむ職場集会を開催し、下原、松井両係長らが作業配置のため同詰所内に入室しようとしたところ、三村清正とともにその入室を阻止して午前八時一五分ころまで右集会を続け、同事務所業務の正常な運営を阻害した。

原告今浪の以上の行為は、地公法三二条、三三条、三五条、地公労法一一条一項に違反し、地公法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当する。

(一二)  なお、原告らは、原告らの本件各行為が正当な組合活動であって、被告にこれを受忍すべき義務がある旨主張するけれども、後記三、四で詳述するように、地公労法一一条一項は一切の争議行為を禁止しているのであって、地公労法違反の争議行為について正当な組合活動と認める余地はないのみならず、原告らの本件各行為の態様からみてこれを正当な組合活動として被告において受忍すべき義務があるものと認めることはできないから、原告らの右主張は採用することができない。

三  原告らは、地方公営企業に勤務する一般職に属する地方公務員及び単純な労務に雇用される一般職に属する地方公務員につき争議行為を一律全面的に禁止した地公労法一一条一項が勤労者に対し労働基本権を保障した憲法二八条に違反し無効である旨、仮に、地公労法一一条一項が憲法二八条に違反しないとしても、少なくとも憲法二八条に適合するように限定解釈がなされるべきである旨主張するので、この点につき判断する。

非現業国家公務員の争議行為を一律全面的に禁止した国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの)九八条五項が合憲であることを判示した最高裁判所昭和四八年四月二五日大法廷判決(刑集二七巻四号五四七頁)、非現業地方公務員の争議行為を一律全面的に禁止した地公法三七条一項が合憲であることを判示した同裁判所昭和五一年五月二日大法廷判決(刑集三〇巻五号一一七八頁)、現業国家公務員の争議行為を一律全面的に禁止した公共企業体等労働関係法一七条一項が合憲であることを判示した同裁判所昭和五二年五月四日大法廷判決(刑集三一巻三号一八二頁)の趣旨に照らし、地公労法一一条一項は、憲法二八条に違反せず、かつ、その合憲性につきいわゆる限定解釈がなされるべきではなく、地方公営企業に勤務する一般職に属する地方公務員及び単純な労務に雇用される一般職に属する地方公務員に対し一切の争議行為を禁止しているものと解するのが相当である。

すなわち、地方公営企業に勤務する一般職に属する地方公務員及び単純な労務に雇用される一般職に属する地方公務員(以下両者を合わせて単に「職員」という。)も憲法二八条所定の勤労者にあたるが、職員は、地方公務員であるから、身分取扱い及び職務の性質・内容等において非現業の地方公務員と多少異なる点があっても、全体の奉仕者として地方の住民全体に対し労務提供の義務を負い、公共の利益のため勤務するものである点において両者間に基本的な相異はなく、職員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性及び職務の公共性と相容れないばかりでなく、多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、その停廃が住民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか又はそのおそれがあることは、他の非現業の地方公務員、国家公務員及びいわゆる三公社五現業の職員の場合と異なるところがない。そして、職員は、非現業の地方公務員と同様に議会制民主主義に基づく財政民主主義の原則により給与その他の勤務条件が法律ないし地方議会の定める条例、予算で決定される特殊な地位にあり、職員に団体交渉権、労働協約締結権を保障する地公労法も条例、予算その他地方議会による制約を認めている(地方公営企業法三八条四項、地公労法八条ないし一〇条等)。また、職員の職務内容は、利潤追求を本来の目的としておらず、その争議行為に対しては、私企業におけると異なり使用者側からの対抗手段を欠き(地公労法一一条二項)、経営悪化といった面からの制約がないだけでなく、いわゆる市場の抑制力も働らく余地がないため、職員の争議行為は、適正に勤務条件を決定する機能を果たすことができず、かえって議会において民主的に行われるべき勤務条件決定に対し不当な圧力となり、その手続過程をゆがめるおそれもある。したがって、職員の争議行為が、これら職員の地位の特殊性と住民ないし国民全体の共同利益の保障の見地から、法律により私企業におけるそれと異なる制約に服すべきものとされるのもやむを得ないといわねばならない。職員が憲法によりその労働基本権を保障されている以上、この保障と住民ないし国民全体の共同利益の擁護との間に均衡が保たれることを必要とすることは憲法の趣意であると解されるから、その労働基本権の一部である争議権を禁止するにあたっては、これに代わる相応の代償措置が講じられなければならないところ、現行法制をみるに、職員は、地方公務員として法律上その身分の保障をうけ、給与については生計費、同一又は類似の職種の国及び地方公共団体の職員並びに民間企業の従事者の給与その他の事情を考慮して条例で定めなければならない(地方公営企業法三八条三項、四項)とされている。そして、特に地公労法は、当局と職員との間の紛争につき、労働委員会によるあっ旋、調停、仲裁の制度を設け、その一六条一項本文において、「仲裁裁定に対しては、当事者は、双方とも最終的決定としてこれに服従しなければならず、また、地方公共団体の長は、当該仲裁裁定が実施されるように、できる限り努力しなければならない。」と定め、更に同項但書は、当局の予算上又は資金上、不可能な資金の支出を内容とする仲裁裁定については、一〇条を準用して、これを地方公共団体の議会に付議して、議会の最終決定に委ねることにしている。これらは、職員ないし組合に労働協約締結権を含む団体交渉権を認めながら、争議権を否定する場合の代償措置として、適正に整備されたものということができ、職員の生存権擁護のための配慮に欠けるところはないというべきである。

してみると、地公労法一一条一項は、職員に対し争議行為を一律全面的に禁止しているけれども、憲法二八条に違反せず、かつ、その合憲性につき限定解釈をなすべきものではないから、原告らの前記主張は採用することができない。

四  次に、原告らは、地公労法一一条一項を憲法二八条に適合するようその合憲性につき限定解釈をすべきことを前提に、本件各争議行為は地公労法一一条一項で禁止する争議行為に該当しない旨主張するので、この点につき判断する。

地公労法一一条一項が合憲であることを認めるにつき限定解釈をすべきものではなく、右条項は職員に対し争議行為を一律全面的に禁止していると解すべきことは、前記三で説示したとおりであるから、原告らの右主張は、その前提を欠くのみならず、前記二で判示した本件各争議行為はその態様からみて同条項で禁止されている争議行為に該当することが明らかである。

したがって、原告らの右主張は採用することができない。

五  原告らは、本件各処分が懲戒権の濫用に該当する旨主張するので、この点につき判断する。

職員に懲戒事由がある場合に、懲戒権者が当該職員を懲戒処分に付すべきかどうか、懲戒処分をするときにいかなる処分を選択すべきかを決するについては公正でなければならない(地公法二七条)ことはもちろんであるが、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果その他諸般の事情を考慮して、懲戒処分に付すべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定できるのであって、それらは懲戒権者の裁量に任されているものと解される。したがって、右の裁量は、恣意にわたることを得ないことは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである(最高裁判所昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。

右の見地に立って、本件各処分が社会観念上著しく妥当を欠くものと認められるかどうかについて検討する。

1  前記二2ないし4で判示したとおり、勤務条件の改正に対する本件各争議行為は、自治労本部書記長安養寺俊親を長とする現地闘争本部の指導に基づいてなされたものであるけれども、原告今浪を除くその余の原告らは、現地闘争本部(但し、原告佐伯のみ。)、市労連、市労の各段階の組織の各役員として、右各争議行為の準備及び実施について、各自の役職に応じた指導的役割を果たし、応分の寄与をしたものであるから、右の違法な各争議行為についてその役職に応じての責任を免れないものであるところ、右各争議行為は、市の合理化政策に抗議する勤務時間内集会又は請願行動を名として職場離脱が一部の職場だけではなく全体で一斉に、しかも、それが当局の再三の職務命令を無視して強行され、特に、原告らの属する清掃部門においては、市労の組合員により昭和四三年二月二三日、三月一五日、同月二一日、同月二二日、同月二三日、同月二五日に終日職務放棄がなされたため、市の清掃事業の正常な運営が著しく阻害され、その遅延により市民に迷惑を及ぼし市民の苦情が相次ぐという影響は軽視することができないところであり、右各争議行為における右原告らの行為の責任は重大であるといわなければならない。

2  前記二2で判示したとおり、職員の勤務条件の是正統一についての市の改正案が職員の従来からの勤務条件に比すれば職員にとって不利益なものであったから、組合側が右改正案に対し強く反対したことは理解できないわけではないけれども、同改正案は、市の行財政の合理化を図り、行政能率の向上や適切な人事配置するためにはやむを得ないものであり、その改正内容においても北九州市と同規模の他の都市、国、民間企業等の労働条件を参考にして、その平均的水準のものにまで変更したにすぎないこと等が指摘できる。また、前記二2で判示したとおり、右改正案について市当局と市労との間で昭和四三年一月三〇日、二月六日、同月一三日、同月一九日と団体交渉をもち、この団体交渉で市当局が勤務時間の是正統一案、特殊勤務手当の整理統合案、旅費改正案に続いて給料表改正案、初任給基準改正案、昇任基準改正案、昇給延伸復元基準改正案を次々に提示してきたため、一回あたり約二時間の交渉時間で全改正案を検討するのに時間的に十分ではなかったといえなくもないが、市労としては、右改正案に全面的に反対であったので、これを検討するための小委員会を設けたいとの市当局の申し入れにも応ぜず、また、二月一九日の団体交渉の席上で市当局から清掃事業関係部門を主にした特殊勤務手当の一部手直しと昇給基準の一部手直しを含む譲歩案を示されたが、合理化案に全面的に反対であるとの態度を崩さず、市当局に対し組合との合意なしに勤務条件の改正を強行しないとの約束をしてもらいたいと申し出たが、市当局にこれを拒否されたため、団体交渉を続けることができないとして交渉を決裂させたものであり、更にその後市当局から団体交渉再開の申入れがあったにもかかわらず交渉を続けることは無意味であるとしてこれに応ぜず、スト回避のため市長や助役と会談した際にも、既に市議会で可決されていた病院事業の合理化問題をむし返し、病院局勤務労務職員の分限免職と切り離しては勤務条件の改正案について話し合うことができないし、一般行政職員と労務職員との給料表の分離に絶対反対であるとの態度を示し、これに対し市当局側が勤務条件の是正統一についての基本方針を変更することができない旨回答していたものであるから、右団体交渉については、交渉時間が不足していたというよりも前記勤務条件の改正案について市当局と市労との間に基本的な対立があって妥協の余地のないことが明らかであり、このことに先に述べた勤務条件是正統一の必要性、緊急性を併せ考慮すると、本件においては、市当局側が十分な団体交渉義務を尽さなかったとまではいえない。

3  前記二3(四)、二4で判示したとおり、昭和四三年二月一九日から同年三月一四日までの小倉西清掃事務所における原告らの違法行為のうち、中畑次長に対する抗議及び誹謗中傷の態様は明らかに行き過ぎで悪質であり、また、各日時に実施された時間内職場集会は比較的短時間のものであったけれども上司の再三にわたる制止を無視してなされたもので、軽視することができないところである。

4  なお、原告らは、本件各処分は組合の組織破壊を狙った不当な意図を有するものである旨主張するけれども、本件全証拠によるもこれを認めることができない。

以上のとおりであって、原告らの本件各行為の性質・態様・情状に照らすと、本件各処分が社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいえず、他にこれを認めるに足る事情も見当らないから、本件各処分が懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えこれを濫用したものと判断することはできない。

したがって、原告らの懲戒権濫用の主張も採用することはできない。

六  以上のとおりで、原告らがその取消理由として主張するところはいずれも採用することができないから、本件各処分を違法として取消を求める原告らの本件各請求は、失当である。

よって、原告らの本件各請求をいずれも棄却すべく、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 辻忠雄 裁判官 湯地紘一郎 裁判官 林田宗一)

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